「AV鑑賞を楽しむために知っておきたいAVの理屈!?〜第8回「ドキュメントだからこそドラマになるのがAVです!AVドラマ必要論を展開させていただきます!?」

プロローグ〜ドラマとは、どんなストーリーラインにも必要とするものです。

ノンフィクションにはストーリーが無いというのは間違いである。一見するとロジック的に間違いのようですが、意外と真実です。ノンフィクションという文章だったり映像に沿ったものに真実を当てはめていくと、これがそのままだと、内容的に辻褄が合わなくなったりして修正する。また、作家や監督が、「この部分は必要としない」「この部分はもっと膨らませないと意味が通じない」とか、作家たちの恣意性によってコントロールされるものです。

 

フィクションとノンフィクションの違いがあるとすれば、空想部分の分量くらいで、本質的には同じものだと思います。

 

しかし、日本は「真実性」について、特に厳しい視点で見る傾向が強い。スポーツが、演劇や映画と同次元で語られることは許されないということで説明がつくでしょう。もしも客席を設けて、木戸銭を取った場合、いわゆる「プロ興行」として起こされた場合、欧米では、「エンターテイメント」と認識されて盛り上がるわけです。日本といえば、「プロであってもスポーツは清廉潔白なもの」とされる。興行という見方をするのを嫌がるのです。

 

メジャーリーグのような野球視聴は、日本ではコロナ禍があって初めて行われている感じ。どちらかといえば、応援団を作り、カネ太鼓にラッパで声をあわせ歌い、選手を鼓舞するという、「贔屓の贔屓倒し」なくらいの過剰な応援が通常でした。サッカーであっても、ヨーロッパでは「国vs国(国家でなくても地域vs地域)」というイメージでの戦いですが、これもやはり整頓された応援団による声援が日本的というところ。国際戦でも変わらないですよね。

 

とにかく日本は、ストーリーあるものは不純で、無いものこそ清く尊いものとして見る傾向が強いです。今や、ストーリーラインとかがあるものとして語られてしまうようになったプロレスですが、20年くらい前までは、「八百長か否か」でバトルされていました。賭けの対象でもないのに揉めるんだから、相当好きな証拠でしょう。ちなみにスポーツを賭けに使えば賭博行為で捕まります。でも、どこが勝つというワードで内緒のトトカルチョを身内でやっていた人は多いはず。甲子園大会とかね。

 

そのトトカルチョという賭け事を指すイタリア語ですが、直訳すれば、賭け金を意味するトトと、サッカーを意味するカルチョの融合ワードですから、スポーツと賭け事は、欧米ではかなり普通のことです。だからこそ真剣になるんだ、ということを語っていたヨーロッパのスポーツファンがいましたし、日本のイメージでは賭博=ヤクザですからね。でもパチンコでわかるように、賭け事が好きな国でもあるのですが、そういうものと聖域に該当するものは分けたい。聖域=尊いものであり、文句は付けないという感じ。

 

これはドラマとノンフィクションの価値の違いにも現れています。しかしながら先ほど書いたように、ノンフィクション作品こそ、作家の恣意性が強い。一般的なストーリーものは想像したものという感じで考えられますが、あっちの方が恣意性が低いことがあります。「降って湧いた!」というワードがそれを示していますね。

こういうような感覚、SEXでも同じなのがわかりますね。風俗プレイ=偽物と軽んじる傾向があります。そのまま風俗嬢を差別するわけですが、その割には、「俺は風俗嬢をイカせた」とか自慢する人たちが多いのも事実。つまり「自分が関わったことで、風俗は真実になった。他の男たちはかわいそう(笑)」という見方をする人が多いのです。

 

でもねぇ〜。この原稿で、麻雅庵が何度も書いているように、「芝居がかったプレイの方が、SEXはたくさん感じる」という事実があるわけですよ。そこから脱却できないから、「俺のプレイはどう?」と女子に聞きたがる人が多い。そこで、「ワンパターンだけど、私の側で感じるように努めているので、気持ちいいです」とか事実を言われたら、もうインポテンツ決定です(笑)。

 

その割に、イメクラなどでストーリーを持ち込みしてもOKとなると、もの凄い細かい指示を与える人がいるそうで……「台本が長すぎて覚えられなくて大変だった覚えがあります。間違えると怒るんですよ(笑)。プレイの後に、「怒ってごめんなさい」と誤っていたのも気味が悪かった(笑)」(デリヘル嬢・Kさん)とか、妙な性癖になっちゃっている。これ彼女とか奥さんにお願いできなくて、風俗に行くとか、パパ活で相手を探すとか、浮気の方が真実のSEXというややこしいことになっている。このねじれこそ、日本といえばそれまでなんですけどね。

 

ストーリーラインがあり、そこに含まれたドラマがあってこそ、盛り上がる人間関係。だからこそ、AVにはドラマが必ず流れているのです。ドキュメンタリーと銘うつ作品でも、そこには恣意的な編集がないとは言い切れないのです。

 

面白いバラエティ番組があったとして、これ実のところ、生放送でない限りは、編集が入っています。その場でスイッチングしたのではなくて、動きに合わせて撮影したデータを、並べ替える作業があります。だから意図していなかったことが、差し込まれて、さもそのネタで笑っているように見えたりするわけです。ガチに編集しなくてリアタイで撮影されていると思っている人はとても多いですよね。こういうのがあって、お笑い芸人がタレントになってしまうことを嫌がってM-1は作られたし。だから初期の審査員はガチ審査していて、1mmも笑っていなかった。タレントを排除して開催したかったのでしょう。今は知らんけど。

時代は動きますから、今は、昔ほどストーリーを嫌う傾向は低くなってはいます。でもAVですら、「リアルじゃない」とか語る男子がいたりします。新人デビュー作品が売れるのがその証拠のひとつでしょう。可愛い子の最初の姿が観たいというのもあるけれど、新人で演技しているわけがないという思考性ですね。

 

麻雅庵は、フェイクの中に覗く微妙なリアルが発見できることがAVの醍醐味だと思っています。ストーリーがあって、その話にノリノリになってしまい、普段の作品よりもプレイとか表情が激しくエロくなる女優がいたりするわけです。これを見つけるのがAVの面白さ。

 

もちろんドスケベな素人娘(っぽい女子)を口八丁でホテルに連れ込み、責めまくりのエロ調教して、スケベな女を愛でるのもAVですが、変な展開なのに妙なリアリティがあってゾクゾクする作品もまたAV。私は後者派なので、今回は高らかに宣言しましょう。

 

「ドラマAVこそAVの本質である」と。

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AVが、なぜかドラマを捨てようとしてしまう理由とは!?

映像メディアにおいて、ドラマティックな展開は必須である。そこが真実だろうが演出だろうが、映像の下で輝く存在となりうるからですね。そこに至るために、スポーツだろうが演劇だろうが、歌だろうが、リアルを超えるかのような練習を重ね、まさにドラマとした言いようがない現場を生み出す。もしもつまらないとするならば、それは登場している人たちが、ドラマを自覚していないからに違いありません。

 

ところがこのドラマティックな感動を否定する人たちがいるわけです。何事も純粋な中にこそ真実が生まれるというお題目の下で。もちろん純粋であることに越したことはありません。不純な状況でなかなか鍛えられるものではない。この場合の不純やらドラマティックな感動を否定する人たちとは、「お金を徴収する人たちと絡む」ということらしい。

 

野球だってサッカーだって、映画や演劇と同じように、チケットを売り会場に見に来てもらうことによって、プロとして成立しているのですが、「お金とスポーツは結びつけるのを否定」したりする人たちの多いこと。その結果として、妙な宗教心に近いような雰囲気が誕生してしまうわけです。2022年になっても未だに廃れることがない、集団特訓的トレーニングもそのひとつですね。事件になってもなっても、止めることはありません。

 

そういう思想のもとに指導者がいるから、そういう状況に変化がない。とするならば、これって、スポーツに限らず、あらゆるメディアの中にそういう「プロを否定する層」がいると思った方がいい。純粋なものには、お金以上の価値があるということでしょうか。価値に関しては否定しません。しかし、お金がなければどんな文化も成立しないことも事実です。パトロンがいた時代は、パトロンあってこその芸術だったわけですから。

 

なんかボランティア=完全無償の献身的奉仕と解釈してしまい、されることが当たり前だったり、することが当たり前という風潮が蔓延る日本だと、なおのこと難しいかもしれない。そんな感じのもやもやが、AVにもあるというわけです。作る側じゃないですよ。観る側の人たち、そう我々です。

 

セクシー女優は、SEXや裸体、痴態を見せることでAVの中に成立した職業です。必要悪だろうがなんだろうが存在していることこそ事実。職業としてどうだこうだと語るのは成立している限りは失礼という話です。ちょっと今回の話とはずれてますので、このあたりは、みなさんで考えてみてはいかがですか。

 

AVにおけるセクシー女優の痴態を、「リアルは擬似行為か」で価値を判断してしまう時代があったことがことが問題の発端かもしれません。AVはモザイクの向こう側にあるファンタジーとして成立していたのですが、ギリギリ隠すというよりも、ギリギリで見せるということで始まったモザイク処理の革命は、従来あったAV業界を根本から変えてしまいました。

 

DVDに記録メディアが変わったのがAVの大きな転換点なのは事実ですが、そこと同時に、デジタルの進歩によって、修正することが安価になった。ここで女優の価値に変化がおとづれたわけです。同時期に、SEXに大して抵抗のない女子たちがAVに入ってきて、「擬似の方がめんどくさい」と語ってしまったために、ギャラも環境も変わってしまった。それに気がついたユーザーが、AVに関して、そこに価値を求めるようになってしまったわけです。

 

作品としてのクオリティよりも、まずはSEXだということ。AVはモザイクを使うことで、欧米ポルノやピンク映画と違った発展をしたわけです。しかし、モザイクがあることでSEXという部分の幻想が守られていたのですが、出演者、制作者、購買ユーザーのどれからも価値観の崩壊による、新しい価値のタイトルを欲するように変わりました。

そのころのAVは、ドラマ性は下がりましたよぉ(笑)。だって、擬似なのかどうかとか、精液は本物かどうかが売れるタイトルの鍵になっていったわけですから。当たり前だったことが覆ってしまった瞬間をみた感じでしたね。AVはそのころ、とにかく売れました。でも本当のところは、レンタル店舗で展開していたころの方が、圧倒的に業界にはお金がちゃんと流れていた。薄利多売を選ぶために、SEXシーンの全てがリアルと訴えて作品を作るようになっていきました。

 

ドラマシーン、シャワーシーン、とにかくSEXと関係ない(ストーリーがSEXに繋がるのは当たり前なのですが)箇所は、「飛ばすところ」と確定しました。DVDになり収録時間が長くなったのもポイントでしたね。当初は、むしろドラマとかシャワーとか、オナニーとか、愛対するSEXではないシーンで水増しさせていたのですが、その後は、SEXをなるべくカットしないで使うという方向に変わっていきました。なので逆にSEXとしてはエロく無くなってしまったのですが、その当時は、ノーカット=全てを見せるとなって売れたようです。

 

このようにもともとから、AVが売れる時には、「SEXじゃないシーンはカットされる」方向がありました。だからこそ今でもそういう意見が出るわけです。観ている側も作る側も同じメンバーですから。変わったのは女優くらいでしょうか?

 

そしてドラマシーンにも問題があります。それは女優の演技力です。長年経過していればそこそこドラマに耐えられる女優になっていくし、なんならずば抜けて上手な人も出てきます。しかし本質的には、そういう部分は適当にしたい資質の女子が多かったために、セリフを覚えない、覚えたとしても内容は変えてしまう。映画監督だったら激怒しそうな展開が当たり前に存在していたのがAV。なぜならば、「女優をいかにエロくするのか」が鍵である。なんなら全てと言い切ってもいい。だから女優が拗ねないようにチヤホヤするのが普通になっていたからです。そしてセリフもそんなに大事とは思われなかったんでしょうね。

でも映像の本質は、エロさだろうがなんだろうが、ストーリーLINEにある。それが120分を超える映像ならばなおさらということです。

 

しかしながら、ドラマ部分があることで売り上げが一定以上伸びないとなれば、カットしたり、なんとなく流して撮影したりする。観ている側も、ちゃんとAVを観ているというよりも、オナニーするシーンだけを探して、そこだけを繰り返し観る。全体を通して観なくなる。そこがドラマをカットしてしまう傾向が誕生する理由だし、AVからは消えることはない定めのようなものなのです。

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YouTube世代が冗長と感じるAVのドラマを否定するのはなぜか!?

YouTube世代と言われつつある昨今の人たち。昔はスマホとかPCとかタブレットで視聴する世界だったのが、今やテレビを使って観るのが普通になってしまいました。視聴率を計測するよりも、テレビの使用方法とかを確認した方がいいんじゃないと思うのは私だけでないはず。

 

そんな世代は、もの凄く早く展開するものを喜びます。ドラマでもバラエティでも、テレビオリジナルやサブスクで観るのではなくて、YouTubeで編集されたものを選択するわけです。これが映画だったら、「劇場に行かなければ観ることができない」わけです。いやそれすらも、どこの非合法で入手したのかわからない映像を使用したショートバージョンが出回っているので、YouTubeで観ているわけです。

 

これはAVにとって、本当に由々しき問題であり、ヤバい時代に突入しつつあると言えるでしょう。もともとAVは、「エッチじゃないシーンは飛ばす」ということを語るのが当たり前でした。120分ちゃんと飛ばさないで観る人の方が稀なのです。それが証拠に、総集編の方が売れる事実がありますから。

 

それを違法アップロードしている人たちがいて、AVが売れなくなるわけです。それ以外にも独自編集してアップロードしちゃっている。それこそいい感じにまとめられていたりして、「実際にAV買って観るよりもお得だなぁ」と思わせちゃう。視聴するだけで犯罪行為なのにも関わらずです。

 

AVはもともと独自にショート編集版といえる「サンプル動画」が充実していました。これはwebで視聴するだけでなく、DVDにもおまけのように入っていたりしました。オナニーを楽しむ時間が1分あまりで終わる男子が少なかったからなのか、あまり問題にはならなかったのですが、女子にAVが浸透しないのは、AVを観るタイプの女子には、明らかにサンプル動画ばかりを観ているタイプが多いからです。

 

AVにおけるドラマこそいらないと思う人が増えたのは、ちゃんと社会状況の影響なのです。

素人AVにだってナンパ中のドラマというか、ストーリーシーンがありますが、セリフに下ネタだけを突っ込むことで、「SEXに狂った男女」を表現しているだけで、セリフが聞こえなくてもOK。テロップを突っ込んだりして、補っちゃう。まさにバラエティ番組を観ている雰囲気になって、そこから一気にSEXシーンのオンパレードという編集が、今の世代に向いていると言えるでしょう。

 

しかしながらAVをもともとから好きなタイプは、ドラマにおける表情とかセリフとかによって、「女子が性欲世界に堕ちていく」のが好きな人です。悶え苦しむ表情だけでなく、快楽にのめり込んで卑猥な笑顔を浮かべるのが好きだったりする。だからヒットするAVとは、セリフを含めた世界観がちゃんとしているシーンがあるものがほとんどです。たぶん総集編を物足りないと思う人たち。「なんで急にニコニコSEXしてるんだ」と憤っちゃうタイプでしょうね。

 

そのポイントとなるものを否定するのが、今主流になりつつあるYouTube世代といえるわけで、だからこそAVが若い層には売れないともいえる。逆に、「いちいち理屈をつけてSEXされても」という感じでしょうか。

 

この世代のSEXは、相手が感じているとかよりも、自分の射精が大事だったりします。女子でも、風俗嬢なのにサービスするよりもサービスされることを望むタイプだったりするかも……まぁこれは昨今のお客さんに、嬢を甘やかせるのが好きということもありますが。

意思の疎通こそSEXの楽しさと感じるタイプが減って、自分が楽しむためのパートナーぐらいの考えだとすると、SEX自体をすること自体、めんどくさいと感じるような人たちが増えることが考えられます。SEXには興味なし、たまに気持ちよくなりたかったら、出会いサイトか、SNSか、違法AVをチェックして、どれかですっきりする。こんな感じの世代にとって、ドラマパートなんてもってのほかでしょうね。

 

しかも、マネタイズとして考えているならば、犯罪としてバシバシ取り締まれば良いわけですが、YouTubeにある違法アップロード動画は、自分の編集能力の誇示するとか、テレビ番組よりも、よりアイドルを愛していることを示しているとか、犯罪なんですが愛情たっぷりという偏執狂的なものだらけ。フルに番組などがアップされているものもありますが、どう観ても海外系の金を稼ぎますよ的なヤツだけです。

 

今の時代、撮影し、編集し、それを楽しむ発想が出てきたのもあるでしょう。スマホの出現とは、手軽にカメラと編集ソフトを入手したことにあるわけです。その発想だと、AVはもっとも手を入れたい映像素材になってしまうのかもしれません。自分が好きな女優の好きなシーンだけを編集する。それを誰かに観てもらいたい、褒めてもらいたいなんて発想の人が違法動画アップロードしているのですから、もういたちごっこです。

 

ドラマがどれだけAVに影響を与えていると、老舗なAVライターが声高に叫んだところで、AVに実際にお金を投下してくれる人たちは、それをちゃんと守っています。そうじゃない人にどれだけ届くかという問題なわけです。AV新法のニュースの強さによって消されてしまいますが、本当のAVの価値が下がってしまっていると思うわけです。

 

そしてAV新法で語られるAVって、正式なメーカーからリリースされている(DVD、配信問わず)のことではなくて、もっと小銭稼ぎをしているAVとは言い難いもの(FC2にいっぱいありますよね)の話です。一緒くたにされてしまうのは、AVというメディアがエンタメなのか、エロなのかをグレーにしてきてしまったところに問題があるでしょう。古い時代のツケを払っている感じ。

この話はこれくらいにしましょう。とにかくYouTubeを視聴する世代は、ドラマであってももの凄い速度を望みます。今、人気があるものってそういう急激な展開のものか、SNSで語りたくなるものなわけです。どちらもAVに無いかも。SEXシーンもどうしても長回しから逃れられません。それが作品の長さではなくて、記録メディアのフォーマットだとしてもです。映画に長い作品が多いのは、芸術を意識することで普通と差別するためといえるかな。また出演者のギャラが高いので減価償却するためにも長い時間になってしまうことも理由でしょう。ハリウッド俳優の人たちのギャラって、恐ろしい金額ですからね。

 

これもAVだけに限った話ではなくて、CDだってLPレコード時代はもっと短かったわけです。それが録音時間の違いが生じたので、徐々にアルバムが長くなっていったわけですから。それ以降の歴史で考えると、ポッピュラー音楽は、シングルを中心としたものに戻りました。今は配信になったために、大御所たちは自分自身のギャラの高さで新曲が作れなくなっている。旧作とライブ頼みというわけです。

 

AVにはシングル版のような発想がありません。映画やテレビドラマをもとにしたカルチャーですからね。だったらドラマ的な部分は必須なわけです。今人気の素人タイトルは、もっと小分けして売ると良いんじゃないでしょうかね。サブスク的な発想で。ストーリーがないので可能だと思います。

 

AVが廃れていくと言われるのは、映像メディアに対する世代間のギャップと言われています。ならばそのギャップを埋める作品、またはそれに準じた作品を作り、それを示していくしか本当の手立てはないのですが、PRの場所が少なくなってしまいましたから、大変というわけです。

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エピローグ〜カット割とちゃんとしたストーリーがあればドラマAVはまた復活する!?

リアルを求められた(ような感じだった)AVは、カット割することを避けてきました。「SEXが途中で止まるなんて!」という話ですよね。でも実際にSEXすると体位変更をメインとして、それ以外にも止まることはあります。一番のポイントはカメラが定点で追いかけるように相手を見ていません。もっといろいろな部分を見ています。男女問わずに、一度プレイ中を思い出してみるとわかると思います。

 

ということは、AVのSEXは、あくまでもAVのSEXなわけです。ファンタジーという定義とも違う観ることだけに特化したプレイです。それが若い世代にとってギャップを覚えるようになったのでしょう。だからなのか、ハメ撮りはいつになっても廃れないし、カンパニー松尾監督が最初に提示したパターンから、何も進化することなく現在に至ります。

新しいAVと考えるならば、ドラマにしてもSEXにしても、もっと複雑なカット割を望んでいるはずです。カット割を早くすることで、例えばハメしろシーンだけがちょっと長くなると、凄い印象の残り方が違ってくるわけです。方向性だってどうしても一方からの撮影になってしまいます。昔のホームドラマのような雰囲気が残っているのがAVの撮影方法ですし。それを変えるには、2回分を使用するとかでしょう。今のライティングにこだわるのならば、複数カメラが必要になります。ただ指示を出せる人が必須になるので、これまた撮影方法は違ってくるでしょう。

 

そしてこれは、黎明期から言われ続けているけれど、そこに予算を使わなかったために、悪しき慣例として残ってしまっている、ストーリーの弱さです。一部、小説やマンガを原作にして撮影している作品もありますが、それも効果的といえるかは「?」が浮かんでしまいます。

 

小説は、そこから絵コンテを起こさないといけないはずだし、膨らませたり削ったりすることこそ、脚本の妙技なわけですが、それが全然採用されておらず、ただセリフのみを抽出した作品が多い。マンガはその絵をそのまま撮影しようとするパターン。マンガとは、人間の体を誇張しているので無理が生じてしまうにも関わらず、そのカットを撮ろうとするのは、CGでも駆使しないと無理。よくマンガ原作の実写映画が文句を言われるのは、そのカット通りに撮影しようとして、リアルな人間だと変になってしまうから。成功している作品とは、映画として検証して作られているから認められたはず。

 

そういう事実を知っているにも関わらず、「これはAVだから」としてきたのは、業界側の完璧な怠慢行為でしょうね。今では予算も減ってしまい、むしろできなくなっているとう最悪の結果です。

またセクシー女優たちに、ある程度のセリフなどを教えようという姿勢もありませんでした。ピンク映画に出演した女優たちが一様にびっくりするのは、お芝居を教えられるからです。どんな作品にだってどんな役にだって、意味と理由がある。脚本から読み取るのが役者の仕事というわけで、セリフにあることをそのまま読む(セリフは間違えてはいけないですが)という意味ではないのです。

 

どうしても業界の構造が、脚本とか演技指導に予算も時間も避けなかったわけですが、それが可能だった時代でも、いかに安く仕上げてたくさん儲けるかが(それはそれで正しい意見なのですが)、AV業界にまかり通ってしまった。そして今、まさにその部分が強く映像メディアには求められているにも関わらず、刺激的なものだけとか、マニアックな部分だけでしか抵抗できなくなっているわけです。

 

女優の人気だけを頼りにして、企画性およびストーリーを蔑ろにしてしまったツケは大きいのです。でもドラマAVはまだまだたくさんあります。それがクローズアップされていくには、先ほどのような要素を本当はクリアしなければならないのですが、そこに特化することを考えないと、AVに関しては、「悪貨は良貨に駆逐す」状況です。

「自分の好みと同じものが正しいAV」と言わず、ちゃんとしたAVというのがあるし、どの作品にも良き要素が撮影されています。それをいかに注目しクローズアップするか、そういう視点がAV視聴にも必要になってくる。毎月購入するヘビーユーザーや、レビュー欄に書き込む人は、そういう部分に着目して書いて欲しいなと思うわけです。

 

ドラマがあり、ストーリーがあるからこそ、可愛いセクシー女優の狂気の部分が見えて興奮がより高まる。これこそが、「ドラマAV」の本当の醍醐味なので、たまには見方をチェックして観てください。しかもその見方の方が、より興奮できますから。

 

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記事=麻雅庵