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あなたの唯一無二の存在って誰ですか?それを確認できる配信ライブ「月で逢いましょう」〜8月24日に本庄鈴が初単独ライブを開催!

プロローグ〜唯一無二の存在が自覚できるのが2021年の日本かも!?

直接ではないけれど、むしろだからこそ醜いくらいに盛り上がるSNSでの他者の行動に対する攻撃。自分の価値観からはみ出ている存在があった時、通常時ならば冷静に対応できるでしょうし、ストレスを感じたとしてもそれ相応に行動するし、自覚をもって自制するんじゃないでしょうか。

 

自制できないほど他者の行動が、この緊急事態宣言中では、「規律違反」に見えるわけですが、それに応じてSNSとか張り紙行動とか、行動してしまいます。もちろんある種の主張を持っている人からすれば、たった1mmのかけ違いだって許されないし、許さないのが社会的な思想です。それは理解できるはず。

 

そういう細かいベルまでの攻撃が積み重なるわけで、テレビを通して観ていると、気高いものも醜く見えてしまうらしい。いつの間にか、疑心暗鬼ばかりで他人を観察してしまう人たちだらけになっちゃったんだろうなんて思ったり。

 

自由に楽しむはずの音楽だって、「フェス」という行為が取り沙汰されてしまうわけで、地方自治体が協力に入っているので、「強行」されたり、「中止」にしたりなっているのですが、それすら敵味方に分かれての論争に発展してしまっています。

 

本当の意味では、大規模にやれるところは、徹底的に規定通りかそれ以上のガイドラインを作成して開催するべきです。なぜならば大手レベルが撤退してしまうと、小さい規模は止めざるを得ないからです。音楽に関しては、ライブハウスレベルのほうが重症なのは確かなのです。理由は、配信される規模がでかい=サーバーがでかいものを扱っている。という、お金があるからできることをやっているから。簡単な話ですね。

 

そういうマクロな視点の話が世の中に飛び交っているのですが、逆にミクロな視点が気になってくるわけです。アーティストやアイドルに熱狂していた人たちは、今なにに熱狂しているのかなという、自然と湧いてくる疑問です。

 

コロナ禍以前の世界線と今の世界線とは全く違うところに位置しています。ライブやイベントを開催したいけれどできないというのは、「演者側」の話です。ファンとの交流もありますし、リアルなビジネスの話もあります。規模はどの程度でできるだろうかとか、どの箱(ライブハウスとかイベントスペース)が現在の状況を鑑みつつ、開催してくれるのだろうかとか。「中止すること」が発令されてしまった時のキャンセル料という大問題は、2020年からずっと引きずっているわけです。

 

このあたりの業界内の話が片付いたとしましょう。だけどその開催するイベントやライブに来てくれるかどうかの選択は、ファンにあるわけです。「絶対に行くね!」なんていっても、コロナに罹患してしまったとか、会社から人の密になる場所に行ったらクビと言明されているなどのリスクがあるのです。人に迷惑をかけるとか他者のことを考えての行動もあれば、「かかりたくない」という人間としての本音があったり。家族があることも重要ですし、無いならないでも逆に罹患した時の苦しさを考えると、注意しないと、とか思ったりするでしょう。

 

意外とわかるのは、人は自分の行動について、自分の意思よりも他者の意思を尊重するほうがすごい楽であるということ。自己肯定するより他者に肯定してもらえるほうが楽なのです。それを肌で感じられたのが、ライブという行動でしょう。そこには普段、何をしているのかわからない同士が集まり、同じ目的に向かって熱狂する場所です。まさに新型コロナ対策分科会が「密になるので極力避けてほしい場所」として規定しているところになってしまうわけです。

2021年、ライブシーンを復活させるために、主催者側は密になる、動員とそれに伴う人がたくさんいるからこその収益を得られるイベント内容から、密にならないために区切られた空間を作り、声を出さずマスクを着用して盛り上がることができるものへと改造しています。

 

この改造のすり合わせが上手くいかなかったのが、敵と味方が、各々の視点から語るという醜い論争を展開してしまったフジロック。我慢している人たちには感情を逆撫でてしまっただろうし、行った人や肯定している人からすれば、規律をちゃんと守っていた人たちへの賛美が出るわけですね。最初に書いた状況の繰り返しです。行った人には今まで以上に生活も含めて、規律を守る義務があるわけです。そして、否定派もライブ会場内の写真とかSNSの投稿をだけで「悪即斬」的なことを言ってもなんのリアリティもないですよね。クラスターが起こったとしても、それは政府や自治体のアナウンスの不備が最大の問題だったりすることを忘れてはいけないわけです。

 

「ダイスを転がせ」次の展開へ進むためにも、ライブに行きたい人、行ってみたい人、以前は行っていた人が、するべきことは、「その場所に唯一無二の存在がいるのかどうか」です。

 

先ほど書いたように、自分で自分を肯定するよりも、他人を支えるとかのほうが人間は圧倒的に楽に考えられます。自己主張が喧しいYouTuberですら、他者が肯定してくれなければ、儲からないどころかなんの肯定感も得られないという悲しい状況になるわけです。

 

メジャーなアイドルたちは、ライブ自体が巨大イベントになっていますし、政治にも意外と絡んじゃっているほどですから、開催したり中止したり忙しいですが、メジャーではない人たちこそ、アイデアを盛り込み、観る人たちが現状で大満足を得られるために腐心して開催しています。

そんなライブのひとつが、麻雅庵が記事に書き続けているミルジェネpresents「月で逢いましょう」配信ライブです。このライブを、配信がメインであると舵を切れたのは、会場である「三軒茶屋グレープフルーツムーン」が、「配信に対応した会場作り」に舵を切ったからです。カメラ4台が同時に走ることで、歌手と演者(通常1名、多くて2名)のライブを、よりダイナミックな動きにしています。観ている側からすれば、映像演出があるからこそ、1時間のライブが楽しめるわけです。

 

楽曲によって、全てをモノクロ映像にしたり、レンズ前にアイテムを挟み、映像に加工をいれたりと、「演者と観客のための視点」が素晴らしく展開しているのです。そしてサウンドも、「配信用ミックス」となっているから、会場とも違う音が聴こえます。視聴するデバイスは、スマホだったりPCだったり、テレビに飛ばしていたりと、いろいろあると思いますが、より良いスピーカーシステムであれば、そのすごい臨場感が伝わるでしょう。スピーカーがなくてもヘッドホンで聴くだけで、違うものになります。昔、ラジカセで聴いていたような音圧も加えた音楽がそこにはあるのです。

 

会場に来ているファンは、「配信ライブを見学に来ている」というわけです。Mステに観客が入って盛り上がっていたのが、コロナ禍前にありましたが、それの「声出し無し、拍手大いに歓迎」という役割を担っているということ。配信ライブのサウンドに参加する存在として価値を見出しせるというわけです。

 

いろいろなセクシー女優たちが、緊張している生の歌声を披露している「月で逢いましょう」。8月24日に、唯一無二の存在として登場してくれたのは、このライブに出演は2度目となる本庄鈴ちゃんでした。単独で歌い続けるライブは今回が初めて。貴重な1stテイクを、配信の人たちも会場の人たちも、観ることができたわけです。

本庄鈴ちゃん。その姿を見たならば唯一無二の意味がわかる

ライブをするということは、人前で歌を披露したい人ということは間違い無いでしょう。「歌を歌う」ということが、セクシー女優に向いているかどうかは、その人その人の資質と個性によるわけですが、「ライブ(生)で歌う」となると、これはテレビで観ている女優さんたちよりも、仕事的に向いているという自論があります。

 

AVを作る過程というのが、いわゆるノンストップに近しい構造で作ります。映画でもまれに、「カメラを止めるな!」のような映画はありますけど、本質的にはカット割りされてバラバラに撮影していくパターンが多い。「中盤の仲が良くなってからのシーンが1stテイクで、どうやって距離を詰めるか、後でギャップが出ないように調整するかが大変でした」なんてコメントがありますよね。

 

テレビドラマだともっと顕著で、ロケをする場所は、スタジオのセットだったりオープンだったりするわけですが、同じ場所の撮影をまとめてしちゃうことがほとんどです。それでもちゃんとつながるわけですから、ひとりひとりの動きを本人はおろか、スタッフさんたちも観続けて作るんでしょう。

 

AVはスケジュール的にいえば、「その日の内に全部撮影する」のが鉄則です。ドラマシーンに関しては、全ての絡み撮影を終えた後にまとめて撮影しているパターンが多いようです。すべてがそれでは無いけれど。絡んでクタクタになった後にドラマだったり、ドラマでいろいろな脳みそを使った後にSEXで、別の脳みそを使うとか、体力も脳みそもかなりハードで過酷なお仕事なのです。

 

とにかく、「終わらなければ明日に」なんて考えはありません。「終わらなければ帰れない」です。かといって、「ただヤレばいい」なんてことでは無い。いかに興奮してもらうか、どのようなパターンの絡みが今作にはあっているか、いろいろなことを盛り込んで見せるSEXをするというわけです。

 

ライブは「ただ楽しく元気に歌えればいい」というレベルだと、もう誰も許してもらえません。ファンは「良かったよ」と甘やかせてくれるでしょうけれど、ライブ系のイベントには来なくなるといったこともあるわけです。もちろん個人的なご都合もあるので、悪いとはいえないのですが、とてもわかりやすい動きをしていたりするんです、その手のファンの方々は(笑)。

 

歌が上手下手ということになってしまうと、「プロの歌手たちが毎日レッスンして悩みまくっているのにかなうのか」なんてツッコミを受けてしまいそうですが、音程の話だとするならば、それは「聴いて聴いて、聴きまくった人の勝ち」ってこと。歌を覚えるとは、カラオケで再現できるじゃなくて、「歌を歌えるかどうか」です。

 

本庄鈴ちゃんのパフォーマンスで、一番筆頭にあげられるのが、「本人が歌っている歌をとても好きと思っているのが伝わってくることでしょう。どこから? それは淀みなくメロディーを構築していること、リズムの取り方でわかるはずです。

 

オリジナルを歌うわけではないので、カバーということですが、サウンドに関しては、福田正人さんが奏でるアコースティックギター1本で構成されたアレンジになっています。同じようなアレンジバージョンがあればそのままでしょうし、そうでなければギター1本のなかにあらゆるサウンドを落とし込み奏でます。

 

つまり、自分だけの固定観念で覚えてしまうと、このアレンジには対応できなくなってしまいます。どこで歌い出すというような話ではなくて、途中の部分がわからなくなる可能性が高いということです。そういう部分の迷いがまるで見られない鈴ちゃん。本当に気持ちよさそう。そしてそれを聴いているこちら側はすごい気持ちよかった。

 

配信を観た人はおわかりでしょうけど、途中の部分から入りそびれて最初から歌い直しをたのが「木綿のハンカチーフ」でした。これは歌の部分と言うよりも歌詞を間違ったことで飛んでしまったようです。歌詞カードを置いていようと、飛んでしまえばどこを歌っているのかわからなくなります。手に持って歌ったらライブじゃないし(笑)。

 

あえて最初から歌うことを選んだ姿勢は、逆に素晴らしかったと思っています。笑いながらごまかしたとしても、ファンたちは許してくれるわけですが、それに頼るのはアーティストっぽくないかなと。まぁそれもそれでイベントとしては有りかな。

 

この部分は本庄鈴ちゃんの「真面目な子」というのが思いっきり表面に出ているのです。歌い方、MC、カメラへの配慮など、あらゆる部分が真面目。リズムに乗って動く。それは、ギターが作ってくれた音空間を把握した上での心地いい8ビートです。

 

マイクケーブルを持って(最近はワイヤレスマイクが増えたから、ケーブルを持つアーティストも減りましたよね)、グッと握りしめて歌う鈴ちゃん。歌う姿勢がいいので、声の出方もスーッと声を張る部分でも無理なく出しているし、ゆったりと歌うところでも、口先だけの歌にならずに歌っています。観ていて気持ちいいシンガーって、誰しもいると思うのですが、そういうアーティストの仲間に入れても何の問題もない唯一無二な鈴ちゃんなのです。

セットリストからわかる唯一無二感〜ミドルレンジが心地よいサウンドたち

青空ひかりちゃん、橘メアリーちゃんの3人で出演した5月11日の「月で逢いましょう」でも思ったのですが、声がなんとも気持ちいいのが鈴ちゃんの最大の特徴と言えるでしょう。

セクシー女優にとって「ライブな仕事」とはファンとの出会いだけではない!ポジティブスキルのアピールの場なのです!〜橘メアリー・青空ひかり・本庄鈴の3人が出演!ミルジェネ『月で逢いましょう#11』

歌手を好きになる時に、歌が上手だからで最初から好きになることはポピュラー音楽では稀なケースです。クラシックだとありがちですが、先生だったりする場合も多いかな。アイドルだろうがアーティストだろうが、一番に気に入るのは「声」だと思います。ずっと聴いていて心地いいとか、響きがいいとか。単純に可愛いとか、理由はさまざま。

 

乃木坂46なんか、あんなにメンバーが歌っているのに、例えば、「斎藤飛鳥ちゃんはどこのパートでソロをとっている」とか好きな人にはわかるのです。パーソナルが好きだからではと言いたそうな人が、閲覧している向こう側にいるのがわかりますが(笑)、本来、そこも含めて好きになっていることをお教えしておきます。

 

そういう意味でも鈴ちゃんの歌声は、AV作品やインタビューなどで聴いていた声とちょっと違っていました。声は鼻濁音で響きがウエットです。なのに透明感があります。また力強さがあるかと思えば、せつなそうな脆さもある。これは天性の持ち物なのですが、彼女の場合、セットリストのような歌が好きで、歌っていたから得たんじゃないかと思います。

20210824「月で逢いましょう 本庄鈴」セットリスト

1.魔法の絨毯/川崎鷹也

2.チェリー/スピッツ

3.カタオモイ/Aimer

4.木綿のハンカチーフ/橋本愛coverバージョン

5.空も飛べるはず/スピッツ

6.糸/絢香coverバージョン

7.未来へ/Kiroro

EN1.若者のすべて/フジファブリック

EN2.君は天然色/藤原さくらcoverバージョン

男性ボーカル、女性ボーカルと散りばめられた選曲は、男性の声としては高いけれど、女性の声としては普通ぐらいという感じになる歌が揃っています。つまり鈴ちゃんは、高めの声を持っています。彼女の声を聴いたことがある人にはおわかりでしょう。

 

女性ボーカルは、カバーバージョンもあって、原曲とは違う解釈の歌い方です。そちらに近しい歌い方を披露してました。2021年リニューアルカバー的な意味合いを感じてもらうといいかなと思います。特にアンコール2曲目の「君は天然色」はオリジナルの大瀧詠一とは全く違う、藤原さくらバージョンです。松本隆の歌詞と女性ボーカルの相性の良さは、松田聖子や斉藤由貴で証明済なのですが、本庄鈴との相性も抜群でした。

これら楽曲たちは、意味深なワードセンスが重なり合いつつも、メッセージ性はとてもストレートです。普通にBGMとして、サブスクで選んで聴いても気持ちいいと思います。ここに本庄鈴ちゃんのセンスが見えるのです。時代性を超越した感じでしょうか。

 

本庄鈴ちゃん自身、どこか昔の時代から来た女の子っぽい雰囲気を持っていますよね。デビューから変わらないストレートヘアとか、涼しい目とかの外見だけでなく、彼女自身が持っている雰囲気が、レトロとはまた違う時代の雰囲気を伝えています。セクシー女優で歌にチャレンジしてい女子たちは、どこか上品さを持っている。だからこそ不可思議なエロスを感じてしまうのかもしれません。

 

声といい、外見といい、雰囲気といい、男子を懐かしい時代へと戻してしまう女子。タイムスリップする際に必要とされるアイテムのような感じと書くと、SF好きにはご理解いただけるかもしれませんね。本庄鈴ちゃんの唯一無二とは、こういうところにおいても発揮されています。聴いているうちに、自然と世界へと引き込まれていく。自分の中の何かを思い出して、自然と涙してしまいそうになる。鈴ちゃんに対しては、「包まれる」が一番正しい形容かもしれません。

まとめ〜あなたにとっての唯一無二の存在=本庄鈴はここにいるのです

ライブにおいて、褒め言葉を書くのは常套手段なわけです。途中で演者が帰ってしまうというような、1970年代のようなスリリングなロックスタイルであれば、それもまた有りでしょうけれど、今は2021年です。そんなことはロックだろうがパンクだろうが、ほぼ起こりません。0ではないだろうけど(笑)。

 

しかしながら言い切れるのは、褒める言葉を探しているようなライブは、ファンでない限りはとても辛いはず。人間誰しも褒めるところはあるだろうし。それがパフォーマンスの中ではなくて、キャラクターだとしても、それはイベントとして成立しているのだから、良いはずです。

 

しかしながら、自然と体が動く。自然と泣きそうになる。自然と拍手したくなる。これはそのステージ上にいるアーティストからのメッセージが伝わって反応している証拠です。ファンになるとはそういうことを言うわけですね。

 

セクシー女優たちは、現状において社会的にもエンタメ的にも、中途半端な位置に存在しています。本来的には、その中途半端な部分こそAVだったわけで、それが人気の秘訣でした。「男子だけの禁断の果実」的なものですかね。それが変わっていったことが、AVはまだしも、出演しているセクシー女優を変貌させています。

 

今現役の女優さんたちは、「今しか知らない」わけで、昔が良いのか悪いのかなんて関係がないことです。それをどうしても引っ張ってしまうのは、男子たちのほう。なぜ未だに黒髪ロングとか、彼氏はいない、恋愛はしないという、アイドルステレオタイプなものとして見られています。

 

よく、「プライベートでSEXはして欲しいのに、彼氏はいないって、ワンナイトばっかりやるヤリマンでいて欲しいのかと思う」とか、「ヤリマンなのに清純派って意味がわからない」と、AVデビューからある程度経過した女優から聴かれるワードです。そのように見ているとしか言いようがないわけで、そういうパターンのアイドルってことです。

 

ちなみに、2011年以降は、アイドル濃度が濃くなりますから、彼氏はもちろん、セフレもワンナイトもNGになっているはず。アイドルが厳しくなっていくのと比例しているわけです。それをぶち破るには、「セクシー女優として本格派」というような存在にでもなるしかありません。

 

AVでの絡みから、普通の演技はもちろん、歌のイベントに出たら、そこいら辺の地下アイドルが逃げ出すほどダンスが上手とか、アーティストが土下座したくなるほど歌が上手いとか、とにかくやることに関しては本格派でなければならないでしょう。

 

歌を止めるとか演技を止めるとか、他のことをやらないとかではありません。むしろセクシー女優として、他のことができることこそ、他のジャンルのニュースソースに掲載されることになり、「現役セクシー女優」という意味での強みを発揮します。テレビに出ている人はいませんが、「大喜利が上手なセクシー女優」がいたっていいわけです。W-1に出演するとかですね。

 

セクシー女優にとって、実はコロナ禍は、厳しい地平線へ出てしまったようです。それでなくても、AVは売れないと言われ続け、DVDからサブスクになるのかとも言われているわけです。コロナ禍で、DVDからデータダウンロード/ストリーミングに切り替えた人もいるでしょう。違法サイトは取り締まりが厳しくなるどころではないほど、国が揺れているし。

 

しかし厳しいのですが、彼女たちは、「救い」になっているのは大きな事実です。イベントで会えた時に笑顔をしてくれる。エッチなところは見せてくれる。可愛い声でおしゃべりしてくれる。撮影会をやってくれるなど、アイドルよりも濃度の高い時間を遅れるはず。だからこそコロナ禍前に、あんなにイベントが人気があったわけです。

 

セクシー女優が大変なのは、エロを求める人たちと、愛情を求める人たちがいて(どっちもという欲張りももちろんいます)、そのどちらにもちゃんとした対応をして上げないといけないということ。SNSの恐怖に晒されるのは、アイドルとかセクシー女優が多いのが真実のSNSです。

 

もちろん、「色恋営業しているから」と怒る人たちもいるでしょう。男性のみならず女性のほうがそういう意味では激しい敵かもしれません。そんなことがあるけれど、人に見せるちょっとした仕草や笑顔が、日本を救っていることこそ、セクシー女優の真実でもあります。

「また歌ってもいいですか」と謙虚な感じでファンの方に確認していた鈴ちゃん。歌うことが楽しい、嬉しいという雰囲気が伝わってきたし、そこから出てきた言葉でしょう。なにせ真面目で謙虚が美人になったのが本庄鈴です。今回聴いたファンは絶対に聴きたいだろうし、次回があればもっともっと聴きたくなる人が増えているはず。

 

「生で会えないから」と配信ライブを食わず嫌いしている人もいるようですが、聴く人が増えれば増えるほど、やれることも増えてくるのがエンタメです。「本庄鈴ちゃんって歌うんだ」的な発想で見てみるのもいいかもしれません。

 

その場所に行った人にはわかります。「本庄鈴は唯一無二の存在である」ことの理由が。ここまでたくさん書いてきた以上の感動が得られるのが、ライブです。そしてカバーする理由があるということは、それが彼女のメッセージです。

 

今、一般の女優が歌手デビューしているのですが、いろいろなことをやらなければならないという理由もあるでしょうけれど、2021年の表現者は、あらゆることに手を出したいと思う、「飽きることのない贅沢者」なのです。そしてこの潮流が、セクシー女優に来ることを願っています。

 

なぜならば、セクシー女優こそライブに向いている仕事をしており、存在だからです。

 

そして、本庄鈴は、あなたを、あなたの一番最良の思い出の世界へと誘う、「唯一無二の存在」だと確信しています。さらに磨きがかかった本庄鈴が、次回聴けるはず。だからみなさん、配信でも観戦でも必ずチェックしてください。

 

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