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AVが進化したからこそ、ユーザーの視点もまた進化したのです!?
「最近のアダルトビデオは不満である!」と、好事家とかヘビーユーザーと呼ばれる方々のみならず、月1本ぐらい購入するユーザーさんから声が漏れ聞こえてきます。
「プレイが生温い!」とか、「もっとハードでドロドロな状況を見たい!」はもちろん、「ストーリー展開が強引すぎ」や、「リアリティーに欠ける」など、意見は様々なところを突いてきます。
昔から、意見を言う人からは、同様の声が上がっていたのですが、SNSのみならず、ユーザーレビューなど、業界外からの声を書き込める部分が増えたからなのは間違いないのですが、それ以上に変貌したことがあります。
それは「観る側のレベルが進化した」ということでしょう。
AVが成長すれば、ユーザーも成長する事実
AVはカメラ技術の進化や、編集ソフトの変化にともない、修正方法や編集スキルがとんでもなくアップしました。
さらには、本数が増えたことによって、AV女優のスキルもとんでもなくアップしました。
「好きこそ物の上手なれ」というより、「経験値がスキルを上げていく」
観る側にとっては、あらゆるタイプのAVを観させてもらえることになった。
その結果、観る側にも強烈な変化をもたらしました。
「あの作品のパクリ!」などの意見は、見比べた結果です。
内容を丸々パクることに気づくようになるには、相当な本数を観ているのでしょう。
別のジャンルで例えると、音楽ですが、生演奏からレコードになったときに、聴く側のレベルもアップしたのは間違いない事実なのです。
昔ならば、「記憶も強く知識も旺盛」な人にしか分からなかった部分が、何度も聴ける環境になったので、「違いが分かる」ことになった。
AVとは、20世紀末のVHS文化から花開いた新しいメディアです。
DVDになり状況に変化が生じて、リリース量が増大、結果、AV女優の増加を生み出し、あらゆるスキルがアップした結果、AVを観る人のスキルを向上させたわけなのです。
「今のAVのここが不満です!」AVユーザー・会社員Pさん(43歳)
「月に2、3本、好きな単体女優の中からパッケージとサンプルを観て、購入する作品を決めています」というPさん。
「本当に5年ぐらい前は、選ぶのがしんどかったくらいなのですが、今は買わない月もあったりします」
「理由は、『またあの作品の焼き直しかよ』という内容についてです」
「AV女優は、そんなことは知らないでしょうから、問題はないのですが、作る側が、絶対に、『あのパターンで撮ろうね』とかやっているに違いないです」
「女の子たちが頑張っているのに、アングルを個々のスタイルに合わせて変えるとか、体位の順番を変えるとか、撮影のみならず、編集もちょっとしたことを変えれば、女の子が違うだけの作品にならずに、もっと興奮できるのにと思います」
「最近の作品は、自分たちの仕事の段取りだけに寄せすぎて、AV女優の個性が死んでしまっているのです!」
マスの視点でいうと、売れた内容に似せた作品を作ったほうが、最終的なリリース本数は上になります。
Pさんのように、細かいところが同じで憤る人よりも、むしろ同じだから安心して観れる人のほうが圧倒多数なのです。
しかしならば、売れる本数が減っている昨今、Pさんのような人が購入層のメインになっている。
今はいいけど、未来はどうなるという疑問にぶち当たるのです。
「今のAVのここが不満です!」AVユーザー・個人事業主Iさん(32歳)
「ぶっかけの汁男優が発射する精子が少なすぎると怒りしか出ませんよね」とは、マニアな作品を好むと自身でも語るIさんの意見です。
「それと目を閉じている側にばかり発射するのが多いけど、本当はほっぺたや鼻の下に発射するほうが興奮します!」
「女優が嫌がっているのか分からないけど、そんな女優にぶっかけ作品をやらせるなと思うわけです」
マニアックなプレイ、ハードなプレイは、どうやってもエスカレートしていきます。
さらに映像が鮮明になった現在では、ザーメンが本物か否かをチェックする人もいる。
すごい精巧で、モザイクで隠れなくても見分けが難しい、精子発射可能なディルドがあったりするんですけどね(笑)
SEXがハードになれば興奮するという人がいるのは事実ですが、どこで折り合いをつけるのかが問題。
商業ベースの作品としてリリースされることが、AVならば、そこの中に登場する女優、男優には、身の危険があってしまったら、人権問題につながりますし、また世間から無用なツッコミに晒されてしまうでしょう。
マニア作品の本来のポイントは、「ガチにやる!」ことの追求よりも、「より精神的な興奮を得る方法の獲得」です。
精神的なエロスを追求していく、それこそ裸の出ないAVが研究されリリースされ、それがちゃんとつながっていくならば、別ジャンルのマニアが登場する好機になるはず。
そこへの転換がなされているかは、2019年のAVの問題のひとつなのですが、それは未来のAVにしか分からないのです。
「こんなにやってもダメなんですか!?」AV女優たちの悲鳴!?
「顔射がぬるいって、かけられているこっちのことも考えて」(Aさん)
「ハードものとは聞いていたけれど、男優が痛いと言ってもピストンを止めてくれない」(Bさん)
AVはどうしても、「観せる作品」なので、同じAV女優を扱った場合、ハードに転がしてしまうのは、ある程度、致し方ない部分はあります。
事情と状況のバランスが崩れた作品なんて映画にだって、音楽にだっていっぱいあるのです。
クリエイティビティを発揮して、AV女優にきちんと、「あなたにはこれがあっている」と説得し、実際に当たった作品もあります。
泣いてしまうほどの感激を得られた女優もいます。
どうしても、「次はもっと上」を見てしまうのが、販売ビジネスなのですが、ユーザーサイドの声だけに耳を傾けるというよりも、「声を出す人たち」に意識がいきがち。
AV女優が発信する悲鳴は、本当のところ、「そこまでを求めていない」サイレントマジョリティーなAVユーザーからの声と一致している気がしませんか。
「どこまでがハードなのか線引きが崩壊してます!?」AV制作者たちの悲鳴!?
制作サイドの言い分は、何よりも数字から来る、「これを作れ」という営業的な命令に準じなければ、次の制作に携われないという、現場的悲鳴でしょう。
日本国中に蔓延している、「一番下を請け負う人たちが一番苦しい」状況。
ここに、「金を出して買ったから、文句も言ってよい」という意識がつながってしまうのは、日本だけでなく世界規模の状況でしょう。
制作サイドからの声として、下記を記しておきましょう。
「自分たちも、ここまで大丈夫かという線引きは難しいですし、逆に、こんなもんでいいのかという場合もあったりします」
「そのときそのときの事情に影響されていることを想像してもらえると嬉しいです」
「何にでも文句をつけるユーザーがいることは知っているんですから」
まとめ〜AVファンタジーを現実と分ける手段が崩壊!?
「AVはファンタジーである」とは、紗倉まなちゃんがイベントなどで公言している言葉です。
毎回、想像の上をいくのではなく、より想像を掻き立てるものであることが、ファンタジーをより楽しく読むポイントです。
しかしながら、女優個人が、メディアを飛び越えて、イベントなどに登場するようになり、SNSが充実しすぎて、リアルな存在になってきた現在、境目が曖昧で、ちゃんと認識できなくなってしまった人たちがいます。
友達に言うかのように、AV女優に対して、「文句をつける」「さらなるハードプレイを注文する」戦争で麻痺した兵隊のような心理状況に陥っているとしか説明できません。
AVがビジネスとして確固たる地位を得て、成長したわけですから、その内容よりも、関わる人たちの安全を守るのは当たり前でしょう。
だから、目が肥えてしまったユーザーたちにだけ声を傾けるのは危険なのです。
画面の中で悶える女の子の事実、ザーメンが嘘か本当かという部分を局部解明に血道を上げるよりも、「作品全体を観る」こと。
AVがオナニーをさらに飛躍させるのに必要なこととは何でしょう。
そのひとつは、作り手側が、「AVユーザー以上にAVな視点を持つクリエイティブなプロフェッショナル」になること。
それが、「AVユーザーに裏切られずに状況を解決する」唯一の方法ではないでしょうか。