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プロローグ〜セクシー女優、そしてAVは、次世代を見ないといけない時代に突入する!?
それぞれのプロフェッショナルであれば、お互いに補填し合うことで、いろいろなメディア、カルチャーを作り出してきたのが、2020年までの日本だとしたならば、今は、どんな感じかなと考えてみましょう。何となく次代へと変換がかかりつつあるなと、うっすらと思っていたところに、予想だにしなかった新型コロナウイルスの全世界流行によって、急加速してしまいました。
当たり前と思っていたことが、当たり前ではなくなる日常という恐怖。2022年5月現在では、中国などの一部地域を除き、流行は下降傾向にあるようですが、完全に打ち勝てる薬は未だに存在せず、ワクチンもまた、100%の効力を発揮しているとも思えない状態です。3年目ともなって、それなりに対応して順応しているわけで、国内外問わずに旅行に行けたり、ライブイベントが開催されたりしています。
とはいえ、いつまた、以前のような緊急事態宣言が発令されるかどうかはわかりません。ということで、リスクが消えたわけではない世の中となり、エンタメは、どのように対応していくか明確にすることを求められています。テレビでは、濃厚接触者になれば出演見合わせして対応していますし、メインのタレントが出られない場合、サブとして別のタレントを起用することで、番組を成立させている。休めないメディアだから、別人でも構わないというリアルが見せられている気がします。
AVで考えると、もしかすると、もっとも大きな影響を受けたエンタメかもしれません。理由としては、本来ならば撮影スケジュールがあり、それに応じて作られていくわけですが、メーカー専属単体女優であれば、スケジュールの仕切り直しなどがあり得ますね。それ以前だって、インフルエンザなどで同じような現象は起こっていました。
キカタンを使う企画も同じこと。セクシー女優自身をポイントとして作られるAVは、その女優が回復するまで待つわけです。月一ルーティーンですから、無理して作らなくても仕切り直しすれば良い。ところが企画系AVとなるとどうでしょうか。根本的には別の女優でも大丈夫ということで作られた企画も数多くあることでしょう。世の中、専属単体が好きというユーザーよりも、企画系であれば誰でもOKというユーザーが増えてきていたこともあり、スタッフ側に問題がなければ、進行してしまうことでしょう。
これは、セクシー女優という仕事を変えてしまうかもしれないことを示唆しています。ずっと専属単体として活躍できているセクシー女優にとっては、状況の変化は大きくは見えないでしょう。しかし専属からキカタンや企画系にチェンジした女優たちや、最初から企画系として活躍している女優たちにとって、「ここで行われている撮影は、本当のところは誰でも良いんだ」という真実が浮き彫りになったのです。
ということは、AV自体は、「素人系が良い」「変なプロっぽさよりも、むちゃくちゃな感じがする素人のほうが楽しめる」とAVを楽しむ形の変化が見られています。今後は、昔のように企画と単体が交互に売れているような状況に変化することもないかもしれない。
とすると、ビジネスとしてちゃんと成立できるセクシー女優が少なくなってしまうわけです。これらを踏まえて考える時、水商売や風俗で考えると簡単でしょう。そこで働く女子たちは、さまざまな理由を抱えているわけですが、やっている間は、「とても楽しい」と語り、リアルとファンタジーの境目に生息するわけです。そしてそこに働いている女子たちは、何かと二股で仕事をしている場合がほとんどです。本業だけではお金などを賄うことが無理なので、別のお仕事として風俗だったり、水商売で働いています。特に、昔に比べると、お水とか風俗嬢一本で働いている女子は減っています。
そしてある程度の期間で終えて、そこに生息していた事実を消してしまえば、無かったことにすれば良いわけです。SNSが発達している時代に難しいかもしれませんが、そこをちゃんとできないタイプは、今後、生きていけないでしょうし、対応と切り替えをちゃんと行うこともまたビジネスの中に組み込まれているのです。
AVは、撮影に一日かかるわけで、休まないといけない。となるとスケジュールにある程度以上、対応してくれる業種じゃないと無理です。業種内容的にも、風俗嬢とセクシー女優を掛け持ちする女子、増えてきそうな気がしますね。
もしも本業オンリーで生活ができるならば、それに越したことはない。しかしながら、ある程度以上の収入を得ようと考えると、どうしても限られた業種に行き着くことになるわけです。その一つとしてセクシー女優だったのが、掛け持ちしないと無理となると、ハードすぎてやれませんなんてパターンが出てくるはず。また中途半端に人気が出てしまうと、無理な生活から体調を壊すなんてこともあり得るでしょう。
ということを考えると、セクシー女優は、タレントと同等、もしくはそれ以上の「本業とそれに付随する別スキル」を得ないといけなくなるわけです。じゃないと、その別仕事もしつつということになってしまう。仕事とリズムがあって人気も得られて、ずっとセクシー女優を続けたいならば、ちゃんとプロとして語れるほどのオーバースキルを、別仕事に持たないといけないということになります。
それこそセクシー女優は、アイドル的な活動を強いられることは変わらないはずなので、そっちの活動をしていくことになるのです。それでなくともハードルは高めに見られているのですが、今後、それよりもさらに上のハードルを超えなければならない。それはファンと楽しめれば良いという次元で語られてきた、これまでを超えなければならないことを示唆しているのです。
次世代のセクシー女優たちは、とてつもなく大変は枷をつけられて活動する可能性が高い。しかし輝いている女優とは、今も昔も、そういう部分を気にせずに活動して、さらに本業もサイドも成長する女子でした。
というわけで、FALENO専属女優・本郷愛ちゃんが、単独初ライブを行いました。そのライブとは、麻雅庵が記事で紹介しているハイクオリティミュージシャンをバックにした、ハイクオ配信ライブイベント「月で逢いましょう」。場所はもちろん、東京三軒茶屋にある「三軒茶屋グレープフルーツムーン」です。そのライブについて語りつつ、これからのセクシー女優像を映し出していた、愛ちゃんについて書いていきたいと思います。
4月26日、本郷愛が、単独ライブ「月で逢いましょう」でうたを歌う。
ライブイベントとは、歌うものだけではありません。トークイベントだって生であれば「ライブ」となります。配信だって、リアタイで観ていれば「ライブ」となります。推しとの貴重な時間である「ライブイベント」として、セクシー女優に多いのは、トークする系とか、撮影込みのサイン会系ですね。トークに関しては、現状ではファンとの直接はかなり難しいわけです。
リアルなサイン&撮影会は、少しずつ復活していますが、やはりアクリルがあるわけでして、アクリル無き時代を体感しているファンたちにとっては、透明なれど分厚い仕切りとなっていると思います。
アイドルとして存在するセクシー女優。だからこそ「歌っても大丈夫」ということなわけですが、説得力ということに関して考えると、一部を除くと……あまり深くは語りたくない感じがあることは否定できません。なぜならば、アイドルたちは、ボイトレやダンスレッスンを行ってステージに挑んでいる。それは地下アイドルですらやっていることですが、それを行わないエンタメというのはどうなんだろうとか思う人もいることでしょう。
セクシー女優は、「歌い踊る」ことは本業ではありません。だから歌う前に準備をしていなくても、カラオケで歌う確認だけして挑んでも、それを怒る理由など1mmもない。そのような雰囲気の拙い方が可愛いなんて御仁もいらっしゃるようですからね。しかし、そのような、「コロナ禍」前の常識と言われていた雰囲気を否定しなければならないようになってきました。
つまり、観る側が、「選別する」ことを覚えてしまったわけです。イベントに行かなくても大丈夫な自分を発見したともいえる。今持っているAVを見直していけば、新しいAVを買わなくても大丈夫とかもあるでしょう。巨大すぎるファンを抱えているメジャーアイドルや、アーティストや、俳優たちは、むしろ前より目立つようになった。小さくとも一擲乾坤と頑張ってきたアイドルやアーティストが、その場を奪われてしまった感じなのです。
セクシー女優すら、それはそれはいろいろあります。イベントに関しては、「コロナ禍前」から存在していた女優が圧倒的に強い。つまり、「彼女を待っていた人たち」がいるからです。だからこそ、2020年前後からデビューしたセクシー女優たちは、作品に出て頑張るだけでなく、「私を見にきてください!」「イベントに来てください」的なところからスタートするというハンデ戦だったのです。
だからこそ、「リアルな存在を見せつつ、なおかつ本物である女優」でなければならない。その最前線で戦っている女優のひとりこと、今回の主役・本郷愛ちゃんです。
4月26日のライブは、配信もライブを観るファンも大盛況でした。愛ちゃんの価値を知っていて、なお観たくてたまらない人がいることを証明していました。
そんな愛ちゃんのセトリはこちら。
1.Automatic/宇多田ヒカル
2.CHE.R.RY/YUI
3.雨/森高千里
4.SWEET MEMORIES/松田聖子
5.夜に駆ける/YOASOBI
6.DIAMONDS/PRINCESS PRINCESS
7.あなたがいることで/Uru
EN1.うた歌いのバラッド/斉藤正義
EN2.Everyday、カチューシャ/AKB48
世代を問わない選曲は、愛ちゃんが、歌を恒常的に聴いていることを証明していますね。そして、何よりも英語力こそ愛ちゃんの大きなポイントです。帰国子女であり、英語はまさにペラペラという彼女らしさを表現したのが、1曲目の「Automatic」ではないでしょうか。
この楽曲のヒットに直撃した世代ならばご理解できると思うのですが、英語どうこうよりも、日本語歌詞を英語的なセンテンスのメロディにのせている楽曲です。なので、カラオケで歌おうとした際に、当時の人たちは、どこかでズレてしまうという感じでした。歌詞を単語と接続詞で分けて考えてしまうと、メロディとは文節が合いません。決して英語の楽曲ではないのですが、カタカナで覚えてしまった英語曲を歌う人よりも、何倍も英語な楽曲です。「英語を言える」レベルではなくて、「英語を理解している」プラス「日本語を理解している」という難曲なのです。最近の宇多田ヒカルさんは、当時とはかなり変わりましたので、比較できないのですが、それが新しかったデビュー当時を、愛ちゃんの歌を聴いた際に思わず思い出しました。
「SWEET MEMORIES」は、松田聖子さんの特徴が特に出ている楽曲です。歌を覚えていくうちに、いつの間にか聖子ちゃんのものまねになってしまう。しかしながら愛ちゃんは、「ちゃんとした英語の楽曲」として歌っていましたね。
それこそ、外国人シンガーがカバーした時みたいな感じでした。でも「DIAMONDS」のカタカナ部分(英語ではあり得ない発音をしている)はちゃんとカタカナでしたから、日本語歌詞の理解もちゃんとできていることを証明していました。
愛ちゃんの英語力だからこそなせる部分として、「母音を強く発音する」感じが出ていました。関西弁を除き、日本語は母音と子音が混ざり合った感じです。そして英語は、学校で習った発音と違って、ネイティブになると母音がかなり重要です。そういう感じの英語っぽい歌い方をしていた愛ちゃん。「夜に駆ける」「あなたがいることで」のような最近の楽曲は、意外と英語的な発音で日本語を歌うことがノーマルなのですが、そこではなくて、80年代から2000年代初期の楽曲を歌う時、その特徴的な歌唱がセクシーさを強調していましたね。
声質はもともとに色気とか艶っぽさを感じるタイプです。見た目はどちらかといえば子どもっぽさを感じるタイプですが、そこに声が混ざると、大人の色気が増していきます。AVの作中でも、それを感じた人たちはいたと思います。それが歌を歌う場面でも目立っていたわけです。
愛ちゃんの歌が素晴らしと思えるポイントは、英語ができるから得しているのではなくて、その部分を飲み込み、さらに歌として昇華していることです。英語ができるから上手なのではなくて、楽曲をちゃんと歌おうとする部分が強い。だからこそ感動したのでしょう。
声を出すことがNGな会場のファンも、手拍子、拍手、ペンライトなど、あらゆる手段を使って、愛ちゃんのバックアップをしていました。配信で聴いていた人は、感情を爆発させて泣いた人もいるんじゃないかなと思います。
アンコール1曲目の「うた歌いのバラッド」では感極まって涙を見せてしまい、止まりそうになるところがありましたが、それこそファンたちと同じように、「お互いに会えている時間」を享受したからこそ起こった現象でしょう。ラストにアイドル楽曲の完成形な「Everyday、カチューシャ」は、楽しいメロディに含まれるマイナーコードが散りばめられており、どこか哀愁を感じるわけです。
「楽しい時間をもっと続けたい」けれど、時間に限りはあり、なおかつ時間は過ぎ去ってしまう。そして毎週のように会えていたセクシー女優とファンとの関係が戻ってきますように的な雰囲気を漂わせていました。
イベントとしての歌ではなくて、歌を披露する意味を持っていた愛ちゃんのライブ
ユーザーのみなさんもそうですが、セクシー女優もまた、リアルな出会いを求めております。別に彼氏彼女という意味ではなく(勘違いしないように笑)、実際に応援しているものが存在するのかと思うようになっている昨今のファン。実際に応援されていることを実感できないセクシー女優たち。この間を埋めるのがイベントというわけです。
ということは、イベント自体を求めているわけで、そこでどんなことが行われようとも大丈夫的な発想の方々もいるわけです。なんとなく会話ができて、写真撮影ができて、2ショットが取れればいいやという感じでしょうか。それだと……いろいろな人のところにいくことが容易に想像できますね。まぁそれも有りです。
そうではなく、「この女の子しか応援しない」という熱狂的ファンパターンもまたいます。この人たちは、とにかく応援する対象に優しいので、歌でもトークでも、ある程度以下のパフォーマンスであったとしても、許してくれる。これだと出る側は努力をしなくなること否めません。失敗しても許してしまう。もちろん「努力した結果の失敗」はゆるさなないと愛がなさすぎですが、「準備不足ゆえの失敗」まで許してしまうと収集がつかないでしょう。それを見た人が、「ここにはもう来なくてもいいや」になってしまったら最後、セクシー女優全体のイベントに参加しなくなる可能性が高い。
セクシー女優というだけで、斜めに見られていることがほとんどなわけで、その中でも何も考えていないことを露呈していけば、ファンという名の人たちは減ってしまう。イベントのハードルが高くなった現在ならばなおさらでしょう。AVだけを観られればいいやという意見は、必ず、「AVじゃないものでも、正規ではないものでもいいや」になります。
そういう意味でも、リハーサルを複数回している「月で逢いましょう」は、良心的なイベントと言えるでしょう。そしてギター&キーボード&コーラスをプロミュージシャンがやることで、自分の足りなさを実感し、本番までに最高のものを仕上げてくるという感じ。まさに「努力家なセクシー女優」が登場するイベントと言えるでしょう。リハーサル、面倒ですからね。当日までに覚えてくればいいやと思うのと、リハがあって蓄積されていくのとでは、どうしても違いが出てしまうものです。
「歌を歌う理由」が愛ちゃんのどこにあるのかは聞いていません。ファンとの時間を大切に思い、MCの間はニコニコと笑顔を見せていた愛ちゃんは、緊張と緩和ができたパフォーマンスをしておりました。そして彼女には「歌を歌う理由」がちゃんとあるように思えたわけです。
カラオケ文化がある限り、どうしても歌を上手に歌うというのは、「覚えたメロディを間違えずに歌う」という意味に捉えがちです。その方がテストと同じで、ちゃんとした点数がつけられますから。しかしながら、エモーショナルな部分を評価するのはとても難しいです。なんとなく伝っていくものとしか言いようがない。
AVでもありますよね。なんとなく興奮度合いが違ってみえて、いつもの作品よりも興奮しちゃうタイトル。それに近しいかもしれません。つまり伝わるわけです。人前に出て、お金をもらうパフォーマンスをする。誰もが努力をしていないわけでもないし、不真面目にやっているわけでもない。でもちょっとだけでも、「観てもらう相手」を想像して努力し、没入していくことは重要でしょう。
感情が高まりつつも、微妙な部分は抑えてフィニッシュに持っていく。涙を流してしまった「うた歌い〜」は、感動のパフォーマンスでしたけど、もしかすると愛ちゃん的には、マイナス要素があったかもしれません。ちゃんと歌を伝えられなかったかもしれないということです。それを引いてもなお感動的でしたけどね。愛ちゃん、ご安心ください。
それ以外にも、「これはちゃんと音楽を聴いている」と思わせてくれたパフォーマンスがありました。それは、1曲目「Automatic」のエンディング前に、フェイク(本当のメロディとは違うメロディで歌うこと)、で歌う部分があるのですが、ここのフェイクが抜群に上手でした!実のところ、「英語は上手だけどこのフェイクの部分は大丈夫かな」と思っていたので、「愛ちゃん、みくびって申し訳ありません」と心の中でお詫びしました(笑)。いやマジで。
こういうパフォーマンスは、オリジナルをちゃんと知っていることや、他の音楽もいろいろちゃんと聴いていないとこなすのは難しいです。よく聞く歌の質問として、「歌が上手くなるにはどうすれば良いですか」というのがありますが、「歌を聴くこと」が重要だと思います。メロディを適当に把握してもバックがちゃんとしていると上手に聴こえたりするのですが、歌を歌う人だけでも成立していないと、リアルな上手さはないでしょうね。
カラオケとは、この中途半端な状況でも成立させてしまうし、なんなら節回しが違っていたも本人の音程が正しければこれまた成立しちゃいます。歌が上手というレベルのて手前で、楽しければOKレベルで成立するのは、カラオケボックスで騒ぐ時だけで十分。ステージ上に立って、歌を伝えるには、まずはオリジナルをちゃんと覚えて成立させる。さらにはフェイクができるレベルまで歌を覚える。
「月で〜」ライブイベントに出演している女優さんたちは、とてつもなく何度も反復練習を重ねていることだと思います。だからこそ、圧倒的に上手だし、妙な間違えとかがないですね。そこはプロではないし、毎週のようにライブをやっているわけではないから、緊張して歌詞が飛んじゃうとかはあるようですが、それとうろ覚えでできないのを、なんとなく成立させるのは、どっちが誠意的かという話です。
ファンの人たちとの時間を、自分の持てるポテンシャルをギリギリまで発揮して、ちゃんと成立させ、観ている人たちを楽しませることが出てきていた愛ちゃん。上手にできたから、これっきりというパターンの人たちもいるのですが、愛ちゃんは、次回への期待までも構築するライブを披露してくれました。
次回が決まったならば、本人のSNSから発信されることでしょう。そして、今回観た人は絶対に観たくなるだろうし、観られなかった人たちが、「次は必ず観たい」と参加してくれるはず。進化するであろう歌を歌うセクシー女優としての存在感を感じさせてくれた本郷愛ちゃん。熱いファンに囲まれている理由がわかるライブでした。
ライブに限らず、イベントはセクシー女優たちの生命線になっています。昔のように紙などの媒体に人気があることならば、グラビアだったり、それぞれに活躍する場所がありました。また雑誌のパワーがAVの売上を後押しもしていました。現在は、随分と少なくなってしまいました。
ということで、SNSが強く成立したわけですが、ご存知のように、エロに関しては、SNSもかなりパトロールが強化されております。また自主警察のような人たちも現れており、ヌードなどが登場すると、あっという間に通報がいきBANされてしまう。「ヌード出ていてBANされていないのもあるよ」という意見があると思いますが、それは「見つける価値が低い存在」という証明になってしまっているのです。
自由度が高いと思われていたYouTubeもまたコンプライアンスの波に飲み込まれています。もちろん懐かし映像などの違法アップロードは絶えませんが、「ここでしか観られない価値」を見出して見ている人が多い。また収益性は下がりまくるのですが、自身で編集することで独自性を映像にみいだしているパターンもあります。
しかしながら、エロに関しては、本当に厳しくなっていますね。Abema TVのようなweb系テレビが唯一といっていいくらい。セクシー女優はそこで顔をちゃんと売れるならば良いでしょうけど、昨今のアイドルは大喜利ができて普通。そこにエロ要素も突っ込まないといけないわけで、ハードルが高いこと!
そういうことから考えていくと、自分自身が得意とするパターンができるであろうリアルイベントは、やはり重要なのです。本人の個性を発揮することができる場所であり、AV内に登場するキャラとはまた違うキャラがあることを提示できる場所でもあります。そしてそれができて、ファンが増えていくと、セクシー女優としての寿命が伸びていきます。コロナ禍前の人気セクシー女優の面々と、それ以降の面々を見比べると、段違いにメンバーが多いのがわかるでしょう。そのくらい重要なわけです。
ただ無理やり開催したからといって、成立するかというと難しいわけです。自分の個性が光る場所をちゃんと考えないといけない。セクシーな人はセクシーに。トークが面白い人はトークを面白く。
というわけで、歌が上手な人は、歌をさらに磨きをかけて、その道のプロがうなるようなレベルを目指していいし、目指すべき職種として、セクシー女優は存在しているのです。
AVで裸体と痴態を見せてくれるだけでも価値がある存在なわけですが、それを普通と思ってしまっている人々は多いです。AVがネットの中に数多く転がっているからこそ、そのような価値になっています。だからこそ、「作中で見せるエロ以外のスキル」を身につけてこそのセクシー女優という時代になっています。エロとは違う部分を出して、TikTokで跳ねるセクシー女優がいてもいいわけです。いやそろそろいて欲しいなぁ。
アイドルだって、アイドルの仕事意外に、サッカーが詳しいと言われるレベルまで詳しいとか、アナウンサーなみ、それ以上のトークスキルがあるとか、尋常じゃない読書量とか、大喜利の天才とかでなければ、売れることが難しくなっているわけです。別ものと思われていたセクシー女優もまた、その中に組み込まれてしまいました。
もしもあなたに「推し」といえるセクシー女優が誕生したならば、徹底的に推し活動をしてあげてください。彼女たちにとって、とても重要なことになっていくわけです。
本郷愛ちゃんを応援している人たちで、今回の「月で逢いましょう」ライブを観られなかった人たちは、次回は必ず観てください。そこにはAVとはまた違う輝きを放つ存在としての、シンガー・本郷愛がいますから。
記事=麻雅庵
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