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まずは「AV女優消滅」というタイトルをつけた意味を知る
2017年9月末、幻冬舎新書より『AV女優消滅』というタイトルの本が上梓されました。
筆者は中村淳彦さんという「元AVライター」であり、同出版社から『職業としてのAV女優』(2012年)を出版していたり、『名前のない女たち』(宝島社)なんかが有名ですね。
著書に対する批評は、「東スポ裏通りweb」にて書かせていただいたので、そちらを読んでいただけると私は嬉しい(笑)
あの見る人にとっては凍りつきそうなタイトルをつけた理由の考察をします。
リリース量を見れば、とてつもない大きな産業である「アダルトビデオ」は、テレビメディアなどで、芸人さんがその素晴らしさを熱く語るし、とてつもなく可愛い子が次から次へと登場するし、そこに消滅の危機があるように思えない。
関係者は、「売れなくなった」と声をあげますが、世間的に見たら、スポーツ新聞のエロ面などに、これでもかと可愛い子が登場し、淫らな姿を見せているのは事実です。
新書というのは、いわゆる年齢を重ねた人が、いろいろな流行や、経済だったり歴史だったり、「読んだだけで知識を得た気になれる」ことにかなりの重点が置かれています。
そんな中に置かれるとして、AV女優をネタにするとしたら、前述のスポーツ新聞のような「分かりやすいエロネタ」じゃなくて、「何かが起こっているAV業界」のほうが伝わるし、手に取っても知的に見えますよね。
AVを日頃見ない人にも、「AV女優って消えちゃうような状況があるの?」とギョッとするキャッチーさがポイントなのです。
AVは消滅しないけど、エロを飲み込んでしまった
実際のところ、これだけ日本人向けに完成されたメディアですが、消滅というよりも、業界の内部変化が起こっているのは確かでしょう。
これは、現在、東芝やNISSAN、HONDAや、アサヒビール、電通などの「日本が誇る屈指の大手企業」が、崩壊する可能性を秘めたニュースを、メディアにさらしていることからも、「今ある業界の常識が、未来の常識ではない」ことを証明しています。
AV女優を取り巻く状況は、国会の審議対象になりましたけど、それもまた、「常識の崩壊の一例」です。
関連性の無さそうな事件を、別の面から見ると意外と根っこが同じなのが分かると思います。
むしろエロいことを語るとき、AVでしか語れない今の日本の状況が問題だと思っています。
しかし私も、作品を使って体位やら恋愛するアプローチをAVで語っていますからね(笑)
一番分かりやすい形に到達したAVは、他のエロメディアを総括してしまったのです。
日本人が生み出す「ガラパゴス的カルチャー」のひとつであるAV
25年以上に渡り、アダルトメディアに身を置く身からすると、エロ本やスポーツ新聞は「紙媒体ならではのエロ表現」を無くしてしまったように見えてきます。
「素人ナンパ」と書いたとき、「AVのタイトル」としか思えない人のほうが、現在ではけだし真っ当な男子でしょう?
つまり、エロの一部だったAVは、巨大に膨れ上がりあらゆるエロを飲み込み、男たちから、あらゆる事象からエロを汲み取る能力を欠いていってしまったのです。
その影響は、女性誌のSEX特集などの、「AV的なエッチの否定」だったり逆だったり。
女子にもまたAV=エロとして波及しています。
「ガラパゴス○○」とは、よく言われますが、AVもまたそのひとつだったわけですね。
そして、AVが好きな人と、エロいことが好きな人が、玉石混交になり、エロ事に対する意識が、全部AVに包括されたことこそが問題ではと思っています。
まとめ〜日常のどこかに転がっている、「エロの種」。
自分を「私はこういう変態」と認識することは、ストレス社会である今の日本において、自己意識バランスを安定するためには、心地よいアプローチだと思います。
SMの女王様が、高いピンヒール靴で歩くのは、「私を見ただけで、興奮するM男を見分けるには、これが一番
簡単なんです(笑)」と言ってました。
変態が変態との邂逅を得るには、自分の無意識に気づくのは肝心だし、そこには安心があるはず。
むしろ、痴漢など犯罪的アプローチに陥らないようになるはず。
自分の内面にある変態性を知り、エロい知識を上げることの入り口としては、AVは簡単で安全で健全だと思うのです。
それが「アイドル」でもいいのですが、一応当サイトはAVを推奨します(笑)。
「AV女優消滅」などという言葉にビビるより、「自分はこういう行為に発情する!」と認識してながらのAVの見方は、「AV女優の味方」になるのです。