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プロローグ〜SとかMとかで、性格判断する浅はかさは、「テレビ的」な情報からきたわけです!?
AVができてから、数年経った頃、テレビのバラエティ番組で、「あなたの性格はSかMか」というような判断を求める場面が登場するようになりました。これはAVではことさら強調されている部分であり、今の作品にも反映されています。
それが一般的になったのは、ねるとん系番組(古くてわからない人はwikiか、お父さんお母さんに聞いてください)などの、合コンにおける男女のトークネタとして行われていましたね。口説く際にも手っ取り早いというメリットがあったからです。さらにはAVがかなり強めに浸透していた時代です。SEXにおいてどのような反応を見せるのかを確認するため、AV内の女子たちのように扱うので、「SかMか」と確認するようになりました。
本当のことをいえば、直接のSEXにおいて、SとかMとかは、まるで関係がありません。性癖の中に、責められる側がいいとかあるかもしれないのですが、そんなことをいったら、女子はほぼMになってしまいます。だって受け身の方が楽だもん。
そして精液を発射したくてたまらない男子は、オナニーと変わらないペースで、挿入からピストンからしたいわけです。それをSとは言わない(笑)。どちらも共通しているのは、わがままであるという事実だけです。
作中のセクシー女優たちが、ことさら「ファンタジー」を強調するようになっていくのは、いわゆるMではないことを意味しています。「そこまで男に従順じゃないです、私」ということを含んだ自己主張なのです。だから人によっては、作中以外は、顔射なんてもってのほかという女優もいれば、かなり好きなのでAVでもそこは楽しんでいると語る女優もいるわけです。これは矛盾ではなくて、人それぞれ性癖は違うことを意味しています。
なのに、「手の握り返してくる女子はS」とか、「手を握られて無抵抗な女子はM」とか、深層心理っぽいことをいって、決めつけることで、SEXをリードしようとしていたと考えると一番楽ちんかなと思います。人の心理なんて意外とコントロールは簡単です。なぜならば、他者に委ねる方が楽だからですね。
女子だって、意味もなくSEXするという「ヤリマン行動」で自分を説明されるよりも、「自分はMだから誘われると弱い」と考えておけば、自己弁護も含めて、自分の一連の行動が簡単に説明できます。
こういう男女の間の心理を、「SM論」で簡単に説明するようになったのは、AVといって間違いないでしょう。なぜならば、SEXする場合に単純な説明をつけておくと、ストーリー展開などがスムーズになるからです。陵辱された後に、感じちゃうシーン、嘘っぽくとも人気が高い。それは、「この女(女優が演じている作中の女子)は、潜在的にはMだったから、快楽を受け入れて楽しんでいるんだよ」という感じにするわけです。
オナニーをスムーズにするために、興奮させていくのがAVです。説明カット的なものが必要ない人もいるのですが、AVユーザーといわれる人たちは、かなりこの部分を強く認識しています。AVの良さはここにあるという感じですね。ちゃんとしたドラマがないと抜けないなんてタイプは多いです。ライトユーザーとの最大の乖離がここ。
AVが作品をわかりやすく売るために、女子はMで、男はSとした。さらには日本人男子が好むタイプの女子が、小さくて可愛い系というのが未だに大きいからなのもあります。受け入れる系に似合うタイプですね。なので相手をする男子は、Sっぽい顔と肉体を持っている方が、納得できちゃうわけです。
自分がAVのような、ハードで派手なSEXができていなくとも、ストーリーとしてのめり込むには、女子は弱く男子は強い方がいいわけですから。そして鬱勃起とかNTRとかで、彼氏役が虐げられちゃうAVがたくさんありますよね。ちなみに弱い男子に自己投影しているのではなくて、強い男子側に投影しています。
もちろん倒錯が趣味な人もいますので、どちらも受け入れていたりもするでしょう。一概にどっちが表でどっちが裏とか言い難いはず。だからこそ男女の関係は複雑だし、上手くいったり別れたりするわけです。AVのようにただSEXだけで解決するんだったら、もの凄く楽な世界になっているはず。残念ながら、AVほど世の中はわかりやすく構築されていません。だからこそ、AVには需要があるわけですし、ややこしい時代になればなるほど、NTRなどが人気タイトルになる。
すっかりNTRは流行どころか、AVの主流になっていますしね。
女子を責めるシーンに欲情するのは男子だけではない!?
何度も書いていますが、AVというのは、「男子がすっきりかつ最高の興奮でオナニーし射精するためのアイテム」として誕生しました。世の中は、男尊女卑なんてワードは普通に闊歩していたわけで、AVは、有名になりお金が欲しい女子とレンタルビデオ店を使って、ビジネスをスタートさせたわけです。
それが時代を経て、女子でも観てもいいものとなっていきます。セクシー女優は、その大胆かつ赤裸々な生き方を、一部の同性に認められるようになっていく。活躍の場所は、テレビも含めいろいろなシーンに登場します。需要に対して、供給できるレベルの女子が、AVに出ているということです。
とはいえ、女子向けに作ろうと何度も叫ばれたAVですが、超ウルトラヒットといえるものにはなかなか巡り合えないです。ガールズシーエッチ(https://girls-ch.jp/)というチャンネルにおいて、「シルクラボ」などの女子向け専門メーカーの作品をアップしていますが、全ての女子がここに目がいくかというと、そうでもない。男子っぽい映像が好きな人もたくさんいるのがわかります。
ラブラブなSEXを展開するAVが女子向けAVには多い傾向がありますが、もともとメーカー専属系単体AVは、「ラブラブなSEX」がメインでした。男優がいたずらをするかのように愛撫することで、感じていき、破廉恥な顔を晒してしまうという展開こそ、単体AVの元祖パターン。
しかしながら、これだけで満足しない人たちが出てきます。もちろんマニアAVメーカーは初期からあるし、一定の人気がありました。しかし、そういうこと以外からも女子を責めるプレイが出てきたわけです。やがては認知されていきます。
SEXは、AVに限らず女子はかなり受け身の人が多いです。エロいものを見て育たない限り、女子からどうすればいいのかなんてわからなかった。今になれば、自ら責めるプレイをする女子はいるようになりましたが、これはもちろん、AVを観る層(違法含む)が出てきた証拠でしょう。しかしながら、やはり主流は「受け身」です。
なので、AVは責めているプレイでも、よく観ると、責められている感じに作られています。どうしても挿入としてち●こを受け入れる側になっていますので、そうなってしまうようです。ま●この方が、ち●こを吸い取るように見える人は、マニアな考えをするタイプ側と思って間違いないです。
そしてAVを観る女子からすると、セクシー女優とは、「可愛くて責められちゃう子」という定義付けが普通になってくる。そういう作品が圧倒的に多いです。そして人気があるという観点から、155cm以下の小さい女子も多い世界ですから、ヤラれ感が強くなります。
またSEXにおいて喘いでる顔が、泣いている顔になってしまう女子が多いのもポイントのひとつ。SEXシーンでズンズンとバックからピストンされている時、顔が泣き顔になっていることがほとんどです。
SEX中に笑顔で腰を振り合うシーンもあることはあります。騎乗位で男を責め立てるシーンだってありますが、正常位やバックの場合、なぜか挿入される女子は泣き顔になるのです。そういう調教をされてきたのか、そういう方がモテると理解しているからなのか。はたまた女子としての本能がそうさせるのか。答えはひとつじゃないので理由まではつきとめるのは難しいでしょう。
そうはいっても、現実にAVにおいて、「気持ちいい!」といいながら、泣いているわけです。トランス状態に陥った女子。それはそれは興奮することでしょう。これを見て興奮するのは、男子だけではないということが、最近はっきりしてきました。女子だって、悶え泣きしている女子に興奮するということです。
SEXとは非現実の世界のようなものです。ドラマは劇的で非現実世界を構築することで、刺激を視聴者に訴えます。どれだけあり得ない状況を、リアルに作るかが鍵。非現実と言うよりも、超現実といったところでしょうか。これを味わえるのがSEXというわけです。
自分が住んでいる部屋では、何気ない日常が展開しています。そこに現れる違和感とは、部屋に入ってくる存在。彼氏だったりすると平和ですね。そういう日常とスムーズに直結している非現実はいいでしょう。
ところが現代人が深層心理の中で好んでしまうのが、異物に陵辱されてしまう自分です。AVでいえばレイプ系でしょうか。表現するメディアによって直接的なことを映さないこともありますが、AVはむしろ積極的に映すメディアです。だからこそ叩かれるわけですから。
そういうダークサイドに引き込まれてしまうことって、無くはないでしょ?
リアルだと犯罪行為だし、ケガをする可能性どころか、死ぬ可能性だってある状況は、AVだと「SEXされているうちに気持ちよくなる」というシチュエーションになってしまうわけです。そうじゃないと表現できないのがAVだし。
責められている女子のことをちゃんと嫌悪感を抱く女子は、たぶん普通なんです。でも普通だからこそ、ドキドキしてしまう。もしかしたら受け入れてしまうかもとか揺れてしまう。そういうことがAV視聴の醍醐味といえるでしょう。男子だけでなく女子も同じことなのです。
男子だとレイプする側で、女子はされる側にという、レイプっぽいプレイを享受し合って楽しむ(見た目は大騒ぎしていたとしても)こともあるでしょうけれど、お芝居の感覚が強すぎて、SEXとしてどこまでのめり込むことができるか。風俗ですらかなり女子側が受け入れてくれないと興奮しないのに、普通の人間が彼女とか奥さんに、それをお願いできるかということは大問題でしょう。だってそれが原因で別れる可能性だってあるから。
SEXの趣味性は、どうにも難しいです。男女のプレイでも何をもってノーマルというのかは難しいですから。セクシー女優だって、インタビューなどで、「プライベートでは、普通のSEXしかしません」と答えたりするわけです。その「普通」とは、どこにかかっているのかなんて、本当は個人の見解によって変わってしまうのに。
日常でチャレンジしたところで、本当に興奮が得られるかわからないSEXとかプレイは多いです。AVをそのまま真似をしたところで、楽しめるかどうかは本当に難しいです。風俗で、撮影を伴う「AVプレイ」なる高額オプションがあるようですが、それこそ相手の嬢が理解しているから成り立つことで、一般女子にお願いして成り立つかは出会い系を使っても、パパ活でも、難しいです。
自分を普通と思っている人たちは、「ただ挿入して果てて終了」をSEXとして理解している。しかしそうじゃない人と出会ってしまったら、その相手が変態に見えてしまい怖くなることでしょう。
AVとは、そういう狭間の感性を理解している人たちが作ると考えるとスムーズだと思います。マニアプレイをいかにノーマルのようにするかがポイントですから。
だからこそ、男子だけじゃなくて、女子も「女子が責められるプレイ」を好むわけですね。自分がヤラれるわけにはいかないし、不安もある。女子風俗ってできているけれど、そこに委ねる度胸もない。そうなったらAVを観て、オナニーで満足させることが一番の解決方法となります。
SEXできないからAVを観るというのは、正解のようで、実は正解ではありません。満足できないプレイを抱えている人や、実現不可能っぽいプレイ……例えばぶっかけとかの集団プレイをしたいとか。それをセクシー女優たちが受け入れ作品化しているわけです。
責められまくり、泣きじゃくるほどに感じてしまう姿を投影させる女子たち。ちなみに男子だって、そっち側で観るタイプもいますから、これを変態とはいえないのです。AVを観ることは、変態というよりも、興味とその発散です。ムラムラを抱えた日常は、一番問題が起こりがちですから。
映像を観るだけでは満足できないとか考えてしまうと、痴漢など一連の性犯罪につながりますから、むしろ「AVの中で、セクシー女優たちがヤラれていること」に興奮を見出した方が健全です。女子もまた、そういうことをおねだりばかりしているうちに、都合のいいヤリマンに堕ちてしまうとか、避妊をしてもらえない女にされてしまうとか、リスクがいっぱいです。だからこそAVを観る女子が登場したのです。
SEXの快楽を知らなければ、そんなに迷ったりすることはないでしょう。だけど、やってはいけないことは、やりたくなってしまう。バレないだろうなんて考え方は、子どもに限った考えではないのです。
ということで、女子が責められるシーンを観たり観せたりしながら楽しむというのもAVを楽しむパターンのひとつです。個人の世界に委ねていたAVが、どんどんと外側に広がっている時代ですから、AV視聴を公言することは、そんなに問題になることではなく、むしろ観ている方が、健全な人間である場合が多いのが、最近の世の中なのです。
責める女子をどう観るかでその人の本音がわかるというお話
女子が責められるというごく当たり前のプレイを、逆転の発想をしたプレイこそ昨今の痴女プレイ、女子が責めるプレイです。こちらも先ほどと同じようにマニアAVメーカーからはたくさん出ていました。ただし、女王様がちゃんといるSMクラブの話で、どこが楽しいのかわからない人がチャレンジすると、ただただ怒りを帯びただけで終わってしまいます。
さらにSMプレイとは、射精はおろか、挿入も本来は含まれていない。SEXの亜流とかではなくて、独立したプレイなのです。そこを勘違いする人が多いわけです。「オレ、Sだから」とか、「わたし、Mなので受け身」という会話が、いかに理解していなくて薄っぺらいのかを理解しましょう。
そういうハードプレイではなくても、ちょっとした羞恥プレイの一種として登場したのが、「ソフトSM」です。バスローブの腰紐で手首を縛ってのプレイとか、お尻のスパンキングとか。ガチに縛るとか叩くではなくて、あくまでのノリとか音とか、状況を楽しむプレイですね。なぜこれが登場したかといえば、またまた登場するAVです。
本来のSMによる叩く行為は、ヴァイオレンス的な要素ではないです。それはまた別のプレイになるし、心理的に優位に立っているとか、相手に催眠状態にされているとか、かなりハードな心理プレイになってしまう。すると逮捕されかねない犯罪プレイだし、できる人は限られています。
相手を傷つけることで、SはMと肉体を享受し合っていると思ってください。叩く方も叩かれる方も、痛い。さらには叩かれることで痛点の向こう側を目指すとか、縄など縛ることで不自由の中の自由を得るとか、Mの人は本当に奥が深い。だからS、女王様や縛師は、Mの人たちに快楽を与えてあげるということになります。しかも死なないようにやらないと、本当に事件になってします。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」がそれですね。
そうならないようにするどころか、痛いだけでなく、ちゃんと挿入された快楽を表現しないといけなかったノーマルAVメーカーは、縛りつつバイブだとか挿入だとかのプレイを誕生させます。それが本当の意味でのSMにはなっていなくとも、映像美だったり快楽の頂点に見えたりしましたので、成功しました。
結果として、ソフトSMはSEXプレイのひとつとして定着していきます。この流れにパンストを破くとか、着衣のまま弄って、挿入するとかの、ちょっとした変態チックなプレイが出てくるわけです。
ちなみに初期のコスプレなんかは、SEXをしなければならないとか、おっぱいを見せないといけないとか、強迫観念が強かったらしく、最後は衣装を全て脱いでしまい、お互いに何のプレイだかわからなくなっていました。マニア心よりも、わかりやすいSEXに重点を置いていた時代といえるでしょう。その後はちゃんと衣装に穴だけを開けるとか、外れないウィッグをつけるとか、ちゃんとマニアが喜ぶことを普通にするようになります。学習ってやつですね。
ソフトSMなんかは、学習以上に、AV的なパターンを重ねて、なおかつ挿入したままでも辛くない姿勢を編み出したり(もちろん見た目はハードに見える角度で撮影します)、研究し尽くされたプレイとなっていきます。
それを観た男女は、もう素直に、責めたい男と責められたい女にわかれ、楽しくやれるようになります。ここに至るためには、AVを一度ならず何度か試聴した方がいいかもしれないですね。映像は興味なしなんて女の子もいます。これは、視覚的なSEXよりも、そこに至る雰囲気がいいから好きというパターンです。
SEXする前の男はとにかく優しくなる場合が多い。もちろん人間関係によっては違ったりしますけど、勃起したち●こはとにかく射精をしないと収まりがつきません。だからこそ優しいわけです。
ところがこのパターンの男子は、愛撫をあまり丁寧にしないので、膣濡れが中途半端でも挿入しちゃったりするので、女子からすれば痛いことが多いようです。なのでSEX自体は楽しくないってことになっている。そういう女子にとっては、挿入してからアンアンと悶えるAVは理解しがたいものとなっているのです。
ソフトSMですが、どちらが主導権を握っているかというと、本当のSMのようにMというわけではなくて、S側がどんなことをするかがポイントになっていて、Mが好むようにはしないことが多いかもしれません。興奮が上になる方が主導権があると考えると一番楽かもしれません。M側がうまく誘導しようとしても、なかなかそうはならないし、むしろMは、「好きなことをして」という感じで委ねていることがほとんどなのです。
挿入しないで縛り責めるだけで完結する、本来のSMと、弄るためのプレイであり愛撫でしかないソフトSM。これくらい違うわけですが、AVにおいては、どちらかわからないような責める映像を作り上げます。でも挿入がないことはあり得ないので、縛るプレイは前戯にすぎないわけです。パッケージで縛り上げていたとしても、そこまで重点が置かれているわけではない。縛ることで、女優の本音を出す的な発想で間違いないでしょう。究極の選択を強いると、人は本音が出ますから。
そういう意味でもバイブ責めをされたり、命令されるがままで、肉棒をしゃぶるとかされてい喘ぐ女優たちですが、チラッと見えている本音がわかるようになったらAV特級免許をもらえます(笑)。
素直に責められている女優を楽しみ興奮するか。本当にこんなに感じているのかと疑心暗鬼に陥りながら観るか。それはあなたの心理が自然と答えを導きだしてくれるでしょう。AVとは、「この作中の出来事はリアルである」と信じることで、興奮が加速するメディアです。素直に観る方が寛容ですね。
それはリアルな男女関係にもいえるでしょう。この時の彼女は本音だろうかとか考えていると、デートもSEXも楽しめません。ですが、全部を素直に信じるのもまた幼稚ではないかと考えるのも普通です。全てはふたりの関係の中に存在する事実を、どう刺激していくかという感じ。
まぁ男子ならば誰だって、ち●こを舐めてくれる女子は、その行為を楽しんでいると思うだろうし、女子もまた「今はエロいことをして楽しむ時間」と考えた方がより興奮できるわけです。リアルなSEXでも、AVでも、心理がどのように働くかで、楽しく気持ちいいと感じる度合いが変わっていくのです。
エピローグ〜責めるも責められるも、本来は同じ部分で興奮しているのです!?
男女どちらも同じタイミングと同じ部分で快楽をともにできれば、何の問題もないのですが、人間ってそんなに都合よくできているわけではありません。実際に、それまではどこも相性がいいと思っていたのに、結婚したり同棲したことで、趣味嗜好でぶつかるようになってしまうなんて、よく聞く話です。
責める人がただただ興奮するのならば、SEXは圧倒的に男子だけのものになってしまうし、女子に言われるがままでしかプレイをしていなかったら、女子はいいけれど男子はだんだんと楽しくないものになってしまう可能性があります。本当に心理って些細なことで逆転したりひび割れしたりしますから。
こう考えると楽になると思われるのが、責められる責めるが男女で違っていたとしても、観ているポイントが同じならば同じような快楽を得られるということです。
もっとわかりやすくいえば、同じAVの同じシーンを男女で観ていて、「興奮すること」を説明すると、意外と同じような感想を持つ可能性があるということです。付き合うということは、どこかのフィーリングが噛み合っている証拠ですから。
AVは意外とそういうバロメーター的な役割を果たします。SEXに至るために作っているため、心理戦のようなものも全ては付け足し。そうやって、プレイに持ち込むというキーワードを与えているにすぎません。そこまでシンプルに作られているからこそ、男女が同じものを観ると、その人の考え方がわかるのです。
ドラマ物AVで、深い心理シチュエーションのものもありますが、全てはSEXに直結させるためのドラマ。深読みしたからといって、楽しいわけではありません。逆に深読みをするのが好きならば、思う存分に深読みをしましょう。無意識の知恵がたくさん入っているのがSEXです。ドラマにも伏線というのがあるように、SEXにも伏線が張られています。AVはそれをわかりやすくしていますが、たまにナチュラルな責めになってしまったプレイなんかが出てきます。たぶん、男優と女優の相性の結果だと思います。SEXしているんだから、そんなこともありますって。
考えていないと言い切る人ですら、無意識に動くことはほとんどありません。それはプロフェッショナルである人たちでも、ごく一部にしか生まれない。しかもずっとはあり得ません。特にSEXなんかは、どうすれば気持ちいいかを散々考えているわけです。挿入後の角度だって、考えると特に気持ちいい角度があるはず。それはち●ことま●この角度を知るからこそわかった事実というわけです。潮吹きさせるポイントなんてまさにこれです。
とにかくSEXは自分のことだけを考えがちなのですが、これを他人の視点で考えると、同じぶっかけとか痴女プレイでも、女優が違ってみえる可能性があります。イメージ的には、責めが好きそうな感じなんだけど、よくAVのプレイを観ていると、責められている時の声が高くなるとか、キスを求めてやたらと舌を出してくるとか、その人なりの深層心理が剥き出しになっています。それがSEXであり、それを検証させてくれるのがAVです。
楽しいだけ、オナニーするだけのAVといえど、男子だけでなく、女子が観るようになればなるほど、心理を探る作品が無意識のうちにドカドカと作られることでしょう。リビドーは、刺激すればするほど巨大化するから。
マニアックにより進んでいるAVですが、その作品の深層心理はよりシンプルになっているのです。
記事=麻雅庵