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プロローグ〜
セクシー女優像に変化をもたらせた紗倉まなのセクシー女優としての評価の話
ターニングポイントに図らずもなる人物っていますよね。歴史上を見ていると、そういうタイミングに、その人が出てくるのか的なことです。織田信長だったり、坂本龍馬だったり、出てくる場所も時期も、そこでなければその後は変わっているだろうということ。そして他の人物などから連鎖反応が起こるという原動力になっているのも確かです。
AV業界は、歴史が浅いわりにポイントになる人物がたびたび現れます。セクシー女優だったり、監督だったり、メーカーだったり。改めて見てみると、どうしてそのアイデアが浮かばないんだろう的な内容の作品だったりするわけですが、人間は近視眼的なことに陥ることがやはり多いので、見落とす場合が多い。ジッと自分の現在ばかりを見てしまうとうわけです。
飯島愛が出てきて、Tバックの女王として売り出された時期は、メーカー専属という発想がなく、それぞれのメーカーで、何本撮ったら隣に移動的な感じ。それでも、「この子はうちのイメージと違う」ということで撮影されなかったり、意外な人がそこのメーカーからはリリースされていないなんてことがありました。
また専属でないわけですから、現在進行形だけをプッシュする形になるわけで、新人AV女優(※当時表記使用)がPRされるのはその作品のみ。ちなみに紙媒体でのデビューインタビュープロモーション的なものは存在しませんでした。当時、インタビュー仕事も全て、AV事務所との仕事になります。なので、インタビューの内容において、AV作品を言及しない場合も多かったです。
一部の現在で言うところの、全開パブリシティ女優がほぼいないため、「この雑誌は普通の人は読まないから」とかいう、今だととんでもない言葉を使ってグラビア撮影やインタビューとかをしていたわけです。レンタルビデオ全盛なので、女子にはAVを観る機会もなかったということ。またエロ媒体=男子のものというのがガッチリ確定していました。
ということで、各媒体によって人気者が違っていたようなAV業界だったのですが、テレビにわかりやすい姿で登場し、定着したのが飯島愛。Tバックのお尻を披露することは、アイドルでは不可能だし、女優でヌードになる人がいたとしても、常時ミニスカでパンツを見せるというのは、女子に納得されるお仕事ではなかった。それを「OK」とした飯島愛さん。当時、彼女とお仕事をしたことがあるスタッフの言葉で、「とても頭がよかった。説明をしての理解力が他のAV女優とは比べものにならなかった」でした。
明らかにAV女優というワードと存在を定着させたのは、飯島愛とテレ東深夜のテレビ番組「ギルガメッシュないと」(飯島愛はレギュラーののち、MCに就任しました)であるわけです。
では、「AV」を定着させたのは誰なのか。やはり全裸監督の村西とおる監督でしょう。男性週刊誌に名前が出ない日はなかったし、片岡鶴太郎がゴールデンタイムでの自身の冠番組内で、物真似していました(笑)そのぐらい、奇妙な存在として定着したのです。
村西監督以外となると、やはり宇宙企画の「宇宙少女」でしょうか。テレビにはそこまで出ていないのですが、全国ライブツアーをやったり、ユニットとしては今の恵比寿マスカッツにつながっています。AVの内容は今だったらイメージビデオ並みのソフト路線だったのですが、それでも抜けるという、「人によってエロとして求めるものの差異」を明確に感じさせてくれたわけです。
そしてその後に、この原稿が掲載されているSOD。ソフト・オン・デマンドの登場があげられるでしょう。ビデ倫メーカーと呼ばれるメーカーによって、業界はカルテルのようになり、新規メーカーの参入などはほぼない状態でした。そこに自身で作り、店も持って、「AVを得る」発想で登場したのがSODです。
レンタルビデオ店が主流だった業界では、もともとAVは問屋に下ろし、購入するのはショップというのが当たり前。ユーザーなんて言葉がなかった時代、AVを直接購入するなんて、「おかしい人」のやることでした。しかし世間の状況をよく見てみると、TSUTAYAの登場によって、レンタルが買取ではなく、1レンタルいくらとして支払う「ロイヤリティ契約」が浸透するようになり、またレンタルビデオ店がどんどんと無くなっていった時代です。DVDとして販売するようになると、VHSと違って激安だったわけで、購入するのが普通になりました。DVDバブルというワードもありましたから。
AV業界の状況を変えようとするSODと、ムーディーズ(当時はMr.プレジデント)にAV女優の新星が登場します。森下くるみと南波杏のふたりです。ふたりは同メーカーの専属として活躍するのですが、それまでの単体女優とは違い、初期から顔射したりハードプレイをやるのが画期的だったのです。AV業界とは、「これだけ可愛いならば無理な作品は撮らなくて大丈夫」みたいなルックス偏重主義は明確だったのですが、そういうバランスレートを崩していきます。ふたりがエロに対して、免疫が低くAV的プレイを受け入れることに抵抗がなかったのも大きかったでしょう。
このように、時代は移り変わりを見せる時に、ポイントになる女優が現れるのが普通だったのですが、今回の原稿の主役である、まなてぃこと紗倉まなちゃんはちょっと違うのです。「彼女自身の行動がAVのターニングポイントになる」存在なのです。
デビュー当時から高い人気を誇っていましたけど、現在のようなアイコン的な存在になると思っていなかったであろう節が、業界内の人には感じられます。「紗倉まなだから」みたいな言い方が割と聞こえてきたわけですが、理由は、「あれだけ可愛いのに、エッチは激しいから売れるでしょう」「ロリ顔はやっぱり人気あるよね」とか、AV業界の人のプッシュよりも、絶対にファンのプッシュが大きかった。業界外の人たちは、まなちゃんをAVのアイコンと思っているけれど、業界内とかAVファンのような人たちは、そうは思っていない節も感じられるのです。
AV女優がアイドルとして認識されていく存在としてもポイントだし、「AVじゃない仕事」をするうえでの大きなポイントの存在である紗倉まなちゃんについて、2020年という時代のパラダイムシフトが起こりそうな年の最後に考えてみましょう!
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普通にしていてもエロい状況でも可愛いのがポイントという話
セクシー女優とは、観る側に対して、「変化する姿」を期待されています。エッチなことをされて、抵抗している姿もいいし、抗えなくなるほど感じてしまい、悶えまくる姿もいい。最初からイチャイチャモードになり、ベッドのなかではわがままいっぱいのエロ可愛い感じもいい。とにかく、日常とは違ったモードになることがエロは顕著であるし、それを見せてくれるのが、セクシー女優ということ。
なので、美形であればあるほど、崩れた時の衝撃は高いのでなるべく美人と呼ばれる人を選ぶわけです。SEXが好きな人の禍々しいまでに激しいSEXを見たくないなんてタイプが、AV好きな人の本音と考えていいでしょう。こういうタイプはここ数年で激増していますが。
恋愛モードでのSEXくらいが理想なのでしょうか。風俗においてイチャラブどころか恋愛関係を求める人がいるようになっています。確かに月に2回か3回デリヘルで呼んで、デートして(デリヘルの場合、店外デートが可能です)、エッチなことをする。本番はできなくとも普通よりもエロいこと(激しいというよりもエロいですね)をしてくれる女子と、何時間も過ごすわけなので、幸福度は高い。彼女がいないと言っている人より、何倍も幸せなわけです。
もちろん陵辱背めにあって、悶絶している姿に興奮しない人はいないと思いますが、自発的に女子側がするので許されているのは、男を可愛がる痴女プレイのみ。挿入時で、もっともっとと言い出すようなプレイになると、AVの劇中でも、「こいつ壊れちゃったぜ」とかのセリフが入り込むわけで、リアルなSEXマシーンへの需要は少ないのです。
セクシー女優になりたい女子の方、エロエロな経験値でイキるよりも、控え目な経験人数を提示して、かわい子ぶるタイプのほうが圧倒的に需要がありますので、キャラ設定を十二分に練ってください。自然にキャラを認知してもらえるセクシー女優なんて、5人もいませんから。
さてまなちゃんに話題を戻しましょう。ご存知のようにベビーフェイスなまなちゃん。自分でもここ数年、「ロリばばあ」と蔑むようになってますが(笑)、ロリ的な顔立ちなのは確かです。声も想像通りの可愛い声を出しますし、そういう意味では「あざとい」系の先駆けともいえるかも。そういうアクションが似合うけれど、本人はそういう女子っぽいアクションが嫌いというのも、天然系ぶりっ子の称号は確定ですね(笑)
トークイベントやラジオなどで見せている顔が可愛いので、エロモードに入るととんでもなくなる……そういうのが従来型のセクシー女優だとしたら、まなちゃんから登場するようになったのが、「SEXも可愛い系」という女優の登場です。悶え方に関しての革命かもしれない。
AVとは、とてもわかりやすいことを求めるのが常です。大仰すぎる喘ぎ声を出す人は意外と人気が低いです。逆に喘がない女子もいらないってことになります。初期のAVにはこういう女の子、たくさん混ざっていました。撮影が乗り気ではないだけでなく、それを前面に出しているというパターン。これは興醒めです。
かといって、喘ぎ方がわざとらしいまでに大仰だったりすると、やらせ感を感じとってしまい、ガチじゃないSEXなんていらないということになっちゃう。実際の女子的には、喘ぐことが恥ずかしいから声が出ないとか、ラブホでのSEXが一番多かったために、夢中になると大声を上げちゃうとか、むしろガチだからこそ出てくるアクションだったりするのですが、これが見事なまでに逆に感じとるわけです。男女の意思の疎通が難しいのはこんなところにも出ていますね。
まなちゃんは、デビュー時の初々しい頃のほうが、喘ぎも悶え方もあざとかったですね。「SEXはこういうもの」という観念的な印象を持っているタイプのような感じでした。これが徐々に壊れたオモチャのような喘ぎ声になっていく。スイッチがあるかのような悶え方を見せてくれます。そういう天然な姿を見せてくれるわけですが、それが「可愛い」わけです。女子が無意識に恥ずかしいところを見せている感じ。SEXシーンとじゃないシーンそれぞれが可愛い感じに見えてきて、デビューからのファン以外がさらに増えてくる。一皮剥けたから伸びるとかではない。
本人キャラは初期から同じです。ハイレグ水着を逆に着せられて涙した感覚から変化はない。SEXに関しても、極端に感度がアップしているようなプレイではない。しかしながら、怖いほどにSEXにのめり込んでいるのが伝わってくるのです。
狂気じみた女子は、AVでは高い人気を誇ります。変化に富んだサイコパスな女子は、AVという予定調和な内容にとてもマッチングしているわけです。「これはこれ、それはそれ」だったりしつつ、そこからジワッとはみ出している感じ。これが映像に出てくるので、観ている側の興奮は高まります。「AVの世界に飲み込まれた=快楽堕ち」という解釈をさせるのがいいのでしょう。
この「快楽堕ち」が大きなポイントでして、まなちゃん以降の作品からよく聞かれるようになります。もともとあったワードですが、よりAVがNTRなどを含めて、「堕ちる女子」に人気が特化しだした証拠でしょう。
SEXを知っている、知っていないは関係なく、知らないように見える顔立ちが欲しいわけです。ロリっぽいのが人気が高いのは、そういう女子に対する感情があるからです。だからシンプルにそういう系統の女子がSEXに飲み込まれている。その結果、AVに出続けている。こういうことにロマンを感じちゃうわけですね(笑)女子の方々、幼稚と笑わないでください(笑)
もともと望まれていた、SEXとのギャップですが、ちゃんと実践できていない女優だらけだったところに望みとおりの反応を示す女子が登場した!それが紗倉まなちゃんだったということです。AVタイトル自体には影響は少ないですが、彼女以降の女子の反応が変わっています。変態系女子がいまいち伸び悩みを見せるのが、最初から最後までエロい人はいらないという無意識の現れなのでしょう。
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定評あるお芝居がSEXをより極上にしている話
まなちゃんは、バラエティ番組「ゴッドタン」や、ドラマ「闇金ウシジマくん」ではシリーズの主役女子だったり、とても演技に定評があります。こういうのはセンスとしか言いようがないのですが、テレビでまなちゃんを観た人が、そのままのめり込んだパターンはあったはずです。
演技が上手だからといっても、AVの場合、演技が鼻につけば、一瞬にしてアウトです。演技SEXを日本男子は一番嫌いますから。プライベートでも、「演技かなぁ」とドキドキしているのに、オナニーのために買ったAVも演技だったら、女子なんか信じられんとなるそうです。ナイーブです(笑)
しかしながら、AV監督たちは、ナイーブな男子たちを知りつつも、妙な作品を出してくる傾向があります。規定がありますし、超えてはならないラインが設定されていますから、その抗尿な手口(褒め言葉笑)で、ラインを跨いだりしているのです。
理由として考えられるのは、NTR作品が定着しているわけですが、その設定がどれも似てしまう。自分の作ったパターンのパロディになってしまうなど、差別化をしようとすればするほど、パクりやすい濃度が濃くなるのです。しかも最近の女優ちゃんはとても上手。どういう意味なのかわからなくても対応しちゃう。
まなちゃんは、どちらかといえば、Twitterに出た本人のコメントからも、そういうラインを跨いじゃう作品には疑問を持っていたようですが、一番ハマっているのは誰であろうまなちゃんだったりします。演技力の高さというには、セリフが上手とか間がいいとかではなくて、その指定された役がちゃんと出せるか否かです。なりきれるかではなくて、自分から出せるかどうか。まなちゃんは、スッと出してきますから素晴らしい限り。
そのスッと出してきた女子は、見た目は可愛いのに(そりゃそうだ、まなちゃんだもの笑)、明らかに何かが壊れている状態の女子。SEXに関しても、ノーマルプレイに見えるんだけど、その目が笑っていないとか、犯されているんだけど、それを望んでいるように感じる。騙された系ではなくて、そういう世界に飲み込まれて、別人になって戻ってきた人的な、ホラーじみた感じがたっぷりなのです。
そういう感じにも関わらず、パッケージされている表面はエロの塊。可愛い女子の可愛い責めプレイだったり、責められプレイだったり。つまりは、「変な電波」が出ているけれど、それを感じることなく普通にAVとして楽しめている人がほとんどということです。たまに怪電波をキャッチしちゃうセンスの人が見ると、「このAV、ヤバいなぁ」となるはず。楽しみたかったら前者がいいですよ(笑)
さらには、まなちゃんの場合、絡みでも相当に凄い出し方をしているのです。彼女が、小悪魔になろうが、痴女になろうが、清楚キャラになろうが、紗倉まなになろうが、まなちゃんという内面にある部分がSEXの最中には飛び出してきます。キャラクターになりきるレベルではなくて、そのキャラが望んでいるSEXとはこれであり、紗倉まなの中の人が望んでいるであろうSEXはこれみたいな感じが漂い、あなたの心理にスッと入り込む。なんか妖怪のようですが、まなちゃんのエロに関するセンスとは、こういう感じ。それは一般のお芝居をした際にもちゃんと出ていて、SEXシーンがないのにSEXしている感じが漂うし、どういうSEXをしているかが見えてくる。
そんなまなちゃんのパターンを観ているのか否か、最近デビューのセクシー女優さんたち、全体にそういう雰囲気を出している人が増えているのです。時代にマッチングしたのかもしれない。
まなちゃんが出たからこそ、新人セクシー女優たちが芽吹いた状態の高いポテンシャルのでAVデビューできたと考えています。壊れる演技は誰でもできるけど、壊れているように見えて、まるで普通という、本気でヤバい自体を作れる人が優秀なのです。まなちゃんのように。
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SEXとは運動神経ではない動作がコントロールしている証明をしてくれる話
AVとユニットダンスは、運動神経はさほど必要ではありません。リズム感はあったほうがいいし、体は柔らかいほうが楽にできるでしょうけど、それもできればレベルの話。どのようなバランスで、どのように動くのか、どのように見せるのかがポイントです。
「AVだけだろうが、見せるSEXは!」と言った人、たぶんSEXが上手になることはありません。それは絡み合っている相手に見せるものだからです。ダンスの場合でも相手に見せることで、動きを予想させたり、事前に分からせることで、パートナーとのコンビネーションを作ります。SEXも同じわけです。相手が望むプレイや、自分がしてもらいたいプレイをどうやればできるか。大体の場合、反復すると相手もなぞってくるとかあります。これがわかりやすい合図的なプレイとなります。
まなちゃんは、「おとといフライデー」だったり、その昔にもセクシーアイドルユニットに参加していますが、本人的には、真面目にやれど……という感じを持っているようです。しかし実際にイベントやライブで観た時に、そういう疑問は感じたことがない。それこそ他者をちゃんと観ているから、上手にユニットのなかで成立しているのです。
SEXはAVの場合でも、普通の場合でも、女子が責められるパターンがポイントですね。最近はマグロな男子も触れたようですが、基本はこれ。だからこそまなちゃんは、責めていようが、責められていようが、自分が最大に気持ちよくなるために、観ている人のツボから、相手の男優のツボまでを、見事に飲み込んでコントロールしています。ナチュラルに責められていたり、責めたりしている感じに作中は観れるのは、彼女がSEX的快楽に貪欲だからでしょう。
AVのためにしているプレイが、自分に100%良い方向で跳ね返っている。位置どりも見事だから、観ている側は一部だけエロいではなく、画面の隅々までエロくなっているわけです。
だからあなたも一度、まなちゃんに飲み込まれてしまうイメージを持って、彼女に抗わないオナニーを試みてみましょう。予想以上に興奮して、精液はたっぷりと放出できるでしょう。何なら2回、3回と可能にするほど、淀みない誘惑があなたに迫ってくるのです。
SEXとはタイミングが全てなのです!
エピローグ
〜じゃない仕事どころではない!セクシー女優の流れを作っている紗倉まな
じゃない仕事での活躍が素晴らしいのはみなさんご存知でしょう。講談社から出した小説『春、死なん』は、前に出した『最低。』『凹凸』を凌駕する成長っぷりを見せており、次の作品が楽しみな作家として認知されています。
セクシー女優だから買ったという人もいるでしょうけれど、良い意味で裏切られる出来で、ファンが増えたのではないかと思います。
アカデミックな仕事が増えると、実はAV的な人気は落ちてしまうという意見があります。また1冊は書いたけれど、それ以降、書いていない女優さんばかりなので、評価しようがないというのも事実。そういった中で、確実に、抜きんでた存在になっているわけです。「アイコン的存在」というのは、セクシー女優を想像した時に、頭に思い描く人物です。AVユーザーならば、その時期に応じた女優を上げるでしょうけれど、一般人だと知っている人を上げるわけで、それはまなちゃんが多くなるに決まってます。一般媒体に普通に取り上げられていたわけです。
そういう仕事が増えると、「AV止めちゃうんだろうな……」と悲しくなったりしますが、まなちゃんにはそういう雰囲気は出ていない。むしろ「エロ屋」と自らを呼んでいるように、セクシー女優という職業をちゃんと望み、生きているわけです。
仕事であり楽しさもあるという羨ましいと思う仕事をしているのですが、逆にいえば趣味でストレス発散なんて人だとしたら、趣味が仕事になってしまう恐怖を味わってもらいましょう。逃げ場は仕事するのみという状況です。
まなちゃん本人には、目にすることないストレスが溜まっていることだと思います。ねぎらいの言葉をかけてあげたい。ここ数年に渡り、AV業界が良く見られる方向でしか仕事をしていないように感じます。しかも女子のレベルアップにもなる「作家」ですからね。セクシー女優として培った情報と解釈は、またエロい描写が増えつつある小説界において、もの凄いメリットを抱えているのです。
単純に、「まなちゃんのチューシーン、舌の出し方がエロくて大好き!」という方向の見方も有りだし、「小説を読んで、人として女子として尊敬できる人の赤裸々な姿を見たい」なんてパターンも有りでしょう。当の本人が規定しているわけではないしね。
「セクシー女優だから……そんなの見ても意味がない」という、世間が常に思いがちな考えを、まともに受け止めながら、ちゃんと受け流しをしているまなちゃん。2020年から2021年になる正月に、過去作を含めて見直してみてはいかがでしょう。正月から種が空っぽになることは間違いないでしょう。
レッテルを貼りたい世間に対して、飄々としつつもきちんとした言葉や態度で受け止めて、抵抗や反論だけでなく、肯定してみせたり、相手思いな思考性が、セクシー女優として最高のポテンシャルを発揮するようになっているわけです。
彼女が活躍をさらに拡げることにより、セクシー女優たちもまた、どんなことをするのだろうかとチェックしているはずです。二足のわらじなんて、昔は言語道断的な発想でしたが、今は会社員も二足のわらじ推奨したりする時代。まなちゃんが執筆とSEXを両立しているのはごく当たり前のことなのです。
進化する紗倉まな。それを観てさらに極上なオナニーができるファンたちとAVユーザー。制限を受けそうな活動をしているのに、むしろにこやかに羽ばたいているまなちゃんのAVには、愛情と本人の快楽欲求とアカデミックさが、ちょうどの味でブレンドされております。
快適な味か苦い味かはあなた次第。彼女を見ていれば時代性が見えてくる貴重なセクシー女優・紗倉まなを、もっともっとご賞味ください。
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